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***  足立区の愛恵学園同窓会「野比の会」に出席しました

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年10月16日(火)06時57分21秒
編集済
      *****  *****

 全国の皆さん、お早うございます。今朝の上野原は久々の晴れた朝を迎えています。

土日の疲れか昨晩は午後7時夕食後すぐに寝てしまいました。けれどもひと眠りした午

前2時には目が覚めたので、もう一度風呂に入り直し深夜、テレビを見ていました。

 録画しておいた「下町ロケット」の続々編です。最初は題名通りのロケットの話でし

たが、続編では心臓の弁の話となり、今回は農業トラクターの話になっていました。そ

れにしても著者というか台本作者というか、そのストーリーの作り方には感心させられ

ます。今後もまだ続くようですが楽しみです。まもなくまた眠くなったので午前4時に

寝床にもどり今また午前6時に起床したという次第です。

 さて先週は、11月11日(日)午後2時30分に開催予定の大月新生教会創立90

周年記念講演会の案内状を67通ようやく発送しました。今年の4月にエプソンプリン

ターを導入しましたが往復はがきの印刷方法が分かりませんでした。四苦八苦して今回

何とか印刷出来ました。その間、上野原の秋山地区、島田地区が停電となり、復旧した

もののインターネット光回線が通じなくなりました。結局、マニュアルと首っ引きで再

接続することができました。

 10月13日(土)は午前11時から足立区関原の住区センターで旧愛恵学園の同窓

会「野比の会」開催されるというので、8時17分上野原発の電車に乗り込みました。

昨年は中央線で東京まで出て、雨天でもあったので北千住駅からタクシーに乗りました

が、今回は初めて、中央線の西国分寺駅から武蔵野線に乗り替え、南越谷駅で東武西新

井スカイツリーラインの新越谷駅に移動して西新井駅で下車しました。

 今回は天気も悪くなかったので、西新井駅から40分歩いて会場まで行くことにしま

した。駅前から尾竹橋通りに出て荒川の西新井橋方向に南下し、その手前の関原2丁目

にある関原住区センターに到着しました。このセンターもともと昭和の初めに宣教師が

創設したキリスト教幼少年教育施設「愛恵学園」の広い跡地です。私が東京神学大学の

大学院1~2年生のころ(1968年4月から1970年3月まで2年間)毎週日曜の

午後、東京新宿の自宅から電車で通って、足立区本木の中高生数十人の礼拝や分級活動

に協力していました。職員はほとんどがアメリカ帰りの女性でアメリカ的な生活をして

いました。例えば夕方はかなり暗くなるまでは電灯をつけようとしません。多分、アメ

リカのピューリタン的な生活パターンで、電気代の節約のためであったと思われます。

 同窓会のこの日には今年も30名ほどが集まりました。その頃の中高生も今では立派

な60代となり元気そうでした。それでもやはり数人が他界していました。午前11時

過ぎから礼拝となり、最近まで平塚教会牧師であった西田直樹先生が北海道時代の興味

深い体験を話してくださいました。礼拝後は懇親会で、用意された松茸弁当を食べなが

らあちらこちらで楽しい会話が続きました。やがて司会者の提案で、幾つかのテーマが

全員に振り向けられ、「愛恵学園の想い出」とか「最近の社会問題について言いたいこ

と」とかありましたが、私には「ちょっと悲しかった話」が振り当てられました。

 予定通り午後4時に閉会となり、わたしはそのまま歩いて西新井橋を渡り、荒川沿

いの土手道を歩いて30分ほどで、昨年同様、舎人ライナー「足立小台駅」近くの西尾

久スカイハイツという大きなアパートの友人夫婦を訪問しました。4年前に上野原から

転居した方で、上野原市老連加盟の島田桂生会でグラウンド・ゴルフの運営や、裏山の

シイタケ栽培や登山道整備活動を一緒にした方々です。昨年も訪問しましたが、今回は

初めて、上野原から東京に転居した直後の苦しかったふたりの闘病・介護生活の一端を

聞きました。何度も心中を覚悟したそうでした。ご主人は書の達人ですので「来年には

上野原りんどうの里美術展に出品してください」とお願いし、また「スカイハイツの集

会室で習字教室を開いたらどうですか」と勧めました。そして1時間ほど旧交を温めた

のち辞し、夕方8時30分に上野原の自宅に着きしました。

 翌日10月14日(日)は午前中、大月新生教会の礼拝に出席しましたが、珍しく出

席者は合計わずか3名でした。夕方5時30分から上野原市民会館会議室で、りんどう

の里美術展開催直前の最後の委員会が開かれ、私が編集した「出品者・作品プロフィー

ル集」も出来上がっており会長は満足そうでした。

 10月15日(月)の午前中は草ぼうぼうとなったイノシシよけの柵内のジャガイモ

畑の草刈りを1時間ほどしました。今年は高温多雨のせいかイヌタデ(赤まんま)がぎ

っしり繁茂して、力任せに刈り取っているうちに使い慣れた鎌の柄が折れてしまいまし

た。午後は雨模様となったので、玄関先で植木ばさみのさび落としを1時間ほどかけて

研ぎました。午前中の草刈りの折り10年程前に妻が置き忘れたものを発見したのです。

 というわけで、その日は疲れで午後7時には早寝したというわけです。それでは今日

も一日、皆さんの上に主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように祈ります。

     *****

【写真上】ようやく秋空にもどりました

【写真中】ジャガイモ畑の柵内はすっきり

【写真下】柵内に繁茂していたイヌタデ、紫蘇

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***  毎月開催の月曜礼拝が順調です

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年10月 9日(火)07時24分27秒
編集済
      *****  *****

 全国の皆さん、お早うございます。といっても、このごろはすっかり朝寝坊になりま

した。「春眠暁を覚えず処々啼鳥を聞く」という唐の時代の孟浩然の有名な句がありま

すが、先月来の緊張した日々が終わったからのようです。本当は孟浩然は官吏になりた

くて若いころ科挙の試験を受けるのですが合格できず放浪した後、故郷の襄陽にもどり

鹿門山に隠棲していました。40歳のとき長安に上り王維などと親交しましたが、官位

は得られませんでした。ですからこの句も通常の理解のような、のんびりした田園生活

の朝寝坊を楽しんでいるのではなく、悔し紛れの作品ではないかと考えています。なぜ

なら官吏になると出勤は朝6時なので、暗いうちに出かけなければなりませんから、と

ても寝坊などできないからです。事実、孟浩然は「洞庭湖の眺望」という五言律詩の中

で、玄宗皇帝から声がかかることを願う気持ちを宰相の張九齢にほのめかしています。


     洞庭湖の眺望 張丞相に贈る        望洞庭湖贈張丞相

             孟浩然              孟浩然


   秋八月 洞庭湖は満々と水をたたえ       八 月 湖 水 平

   大空を浸し末は水か天か見分けもつかない。   涵 虚 混 太 清

   雲夢(うんぼう)沼から霧が立ち込め      氣 蒸 雲 夢 澤

   湖の波は岳陽城をどよもしている。       波 撼 岳 陽 城

   そこを渡ろうにも舟はないが          欲 濟 無 舟 楫

   じっと座っているだけでは           端 居 恥 聖 明

     聖明の天子(皇帝)にはずかしい。

   釣り糸を垂れる人をぼんやり眺めるうちに    坐 観 垂 釣 者

   無駄とは知りつつ私にも            空 有 羨 魚 情

      魚を欲しがる心が起こってくる。        (五言律詩)


 昨日午後2時からは大月新生教会で毎月第2月曜開催される月曜礼拝でした。妻の発

案で昨年10月から開始され、ちょうど1年が経ちました。当初は「最悪、我々夫婦だ

けでは」と覚悟しましたが、何と毎回5~6名が出席します。夫婦二人だけの時は1回

しかありませんでした。レギュラーメンバーは教会近くの大芳飯店の御主人(60代)

とその叔母さん(90代)、そして中央線四方津駅前の母親(80代)とその息子(6

0代)という上野原キリストの教会員の6名です。2010年に大月新生教会の礼拝に

出席する様になるまでは、私たちはそこの礼拝に出席していました。月曜礼拝の最初の

半年は平均して毎回4名でしたが、次の半年の平均は8名となり、1年間平均6名です。

どういうわけか分かりませんが、嬉しい誤算でした。

【写真】孟浩然の「洞庭湖の眺望」が刻まれた急須(字体は篆書)

    *****

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りんどうの里美術展の冊子編集が終わってほっとしています

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年10月 5日(金)11時30分4秒
編集済
               *****  *****

 全国の皆さん、お早うございます。台風25号が近づいているのか、上野原は

曇り空です。とはいえ、りんどうの里美術展のプロフィール集編集が終り、業者

への印刷依頼も完了して、ようやく心が軽くなりました。これで日曜日の礼拝説

教の準備に専念できます。

 夏が過ぎても草ぼうぼうだった畑も草を刈って耕して9月24日(月)にはす

でに白菜の苗20株を植え付けていましたが、10月3日(水)午前中には春に

ネギを植えていた部分を耕し直して、昨日10月4日(木)には買い置きの干し

ネギの苗20株とキャベツなど何種類かの苗20株を植え付けることができまし

た。防虫ネットをかぶせておきましたが、ネットからはみ出た苗数本はさっそく

鳥に半分食べられていました。油断も隙もありません。

 溜池は台風による大雨のたびごとに10センチ、20センチと溜まりますが、

翌日には干上がってしまうので、「おじさん、底にブルーシートを張らなきゃだ

めだよ」と言う近くの子どもの意見を取り入れ、試しにブルーシートを張ってみ

ました。昨年のテラス工事に使った大きなシートがあるので広げたところ、ほと

んど溜池と同じ広さでした。接近中の台風の際の大雨の水がどのくらい残るのか

確かめてみます。

 関連内容の「上野原ラブリ通信」http://mitachi.life.coocan.jp

ご覧ください。

【写真上】溜池に張ったブルーシート

【写真中】防虫ネットにおおわれた白菜畑

【写真下】干しねぎをうえつけた畑

    *****

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*** 台風24号の来週で危機一髪の日曜日でした

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年10月 4日(木)17時57分1秒
編集済
       *****  *****

 9月の最終日30日(日)は「大型で非常に強い台風24号接近」との天気予報

が出ていましたがあまり気にも留めず朝8時30分過ぎに妻と共に家を出ました。

当初より帰りは夕方遅くなりそうだったので、いつもの上野原駅近くの桂川(相模

川上流)河川敷の駐車場(冬季は午後5時閉鎖)ではなく、駅前の知人の庭先に留

車をめさせてもらいました。

 この日は大月新生教会の礼拝後、午後2時30分から石和温泉駅ちかくの山梨英

和プレストンこども園(石和教会となり)で開催される山梨分区委員会(各種委員

会の代表が毎年3回、報告と協議のため集まるもの)に出席しました。いつもは教

会役員(農村伝道委員長)と出席していますが、彼はこの日の荒天を嫌って早々に

欠席を宣言して帰宅しましたが、私達夫婦は、委員会のひとつである「牧師パート

ナの会」の世話人である妻は報告しなければならないこともあって、中央線で大月

駅から石和温泉駅に向かいました。

 石和温泉駅を降りると小雨でしたので20分歩いてこども園に行きました。委員

会は予定通り5時に閉会となりましたが、天気予報通り台風の接近で会議途中から

大雨・強風となってきました。そのため早退する委員もいましたが、私たちはたか

をくくっていました。さすがに会議終了後は歩いて石和温泉駅まで向かうわけにい

かず、富士吉田教会の牧師の車で送ってもらう事にしましたが、「中央線は午後5

時でストップする」と聞き、急遽、そのまま中央自動車道に乗り上野原まで送って

もらうことにしました。

 ところが中央道走行中は雨も風もものすごく、上野原の手前の梁川で甲州街道は

しばしば通行止めになるとに気がつき、上野原まで行ってしまうと今度はその牧師

が富士吉田教会にもどれなくなってしまうので、大月新生教会前で降ろしてもらい

ました。私たちは教会に泊まるつもりでした。毎週日曜夜6時から甲斐大月グルー

プのミーティング会場に提供しているので、それが終了するまで教会近くの大芳飯

店で夕食を取り、イオンの100円ショップで時間つぶしをしました。7時過ぎに

ミーティングが終了しましたが、幸いにもそのあと車で東京に帰るメンバーがいた

ので、それに便乗することになりました。教会を出た車は国道20号を突っ走って

何とか上野原にたどりつき駅前で降ろしてもらい、駅前の知人宅に駐車していた妻

の車で午後6時に無事帰宅することができました。

 ところが翌日も午前中いっぱい中央線は不通でしたので、あのまま大月の教会に

泊まっても翌日昼過ぎまでは上野原に帰れなかったことになります。翌日の10月

1日(月)は上野原りんどうの里美術展のプロフィール集の入稿日でしたので深夜

までそれに専念するつもりでしたから、危機一髪で危険を回避できたことになりま

す。案の定その日は丸一日、編集にかかりきりでした。特に夕食後は午後11時ま

で会長から原稿の訂正・追加を求めるメールが矢継ぎ早に届き、深夜午前0時過ぎ

何とかメールで印刷会社に入稿することができました。

 それにしても当初の予定では、10月1日(月)朝8時に家を出て、ひとりで伊

豆高原の「東海教区キリスト教社会福祉フォーラム」に参加するはずでした。JR

で八王子、町田を経由して、小田急に乗り替え熱海に出て、伊豆急で伊豆高原駅で

下車し、フォーラム会場の伊豆高原教会、伊豆高原十字の園で「霊性と奉仕」とい

う主題のもとに、副題「聖書を通じた真の人間らしさの発見」を学ぶはずでした。

その日は伊東市の緑風園に泊まり、翌日10月2日(火)正午解散の後は熱海の親

戚の家を訪問して泊まることを楽しみにしていました。お土産として既に山梨の銘

酒「七賢」重いので1升瓶ではなく4合瓶を用意してあり、また山梨名産のぶどう

「巨峰」を持参するつもりでした。そして10月3日(水)は熱海から直接、東京

に向かい、都営地下鉄新宿線に乗り、終点の本八幡駅手前の船堀駅で下車して、駅

前の江戸川区相互市民センター「船堀タワーホール」で開催されている水越幽峰展

(上野原の書家でりんどうの里美術展出品者の初めての個展)にいくという過密ス

ケジュールでした。

 ところが熱海の親戚のデザイナーは久しぶりの作品制作で多忙ということで行け

なくなり、また10月3日(水)は大月新生教会の家庭集会が入ったので、伊豆高

原のフォーラム参加も、熱海の親戚訪問もなくなったのでした。結果的には10月

1日(月)にりんどうの里美術展のプロフィール集の編集に専念することができ、

10月2日(火)は余裕をもって午後、江戸川のタワーホール船堀を訪問すること

ができました。書道展で主催者の書家とも会い作品の前で記念写真も撮りました。

詳細は「上野原ラブリ通信」第856号 http://mitachi.life.coocan.jp

その後、舟堀駅前の居酒屋「むこうぶち」でチャーシュー丼をさかなに生ビールを

飲んでから午後7時に上野原の自宅に帰ってきました。台風24号来週などで遠大

な旅行計画が崩れましたが、それなりに充実した数日でした。



【写真上】書道展が開催された江戸川区の船堀タワーホール

【写真中】今年、書家が揮毫し展示された私の台湾の思い出の漢詩「野柳岬」

        野 柳 岬          イエリュー岬

     江 南 峻 嶺 聳 汀 州   タートン山はそびえ立ち

     凛 凛 宮 俄 怪 蜃 楼   浜辺に 娘の はずむ声

     静 邃 急 亭 山 頂 懸   山の高みの あずまやの

     蒼 蒼 天 蓋 火 雲 浮   うえに 広がる 夏の雲

         (七言絶句、尤韻)       (井本克二作)

【写真下】昨年、書家が揮毫して上野原の書展で展示された私の漢詩「山中湖」

        山 中 湖           山 中 湖

     山 中 懸 泉 水 自 舂   山のふもとの みずうみの

     涼 風 閒 訪 白 芙 蓉   芙蓉の花に すず風わたり

     波 光 満 眼 軽 鷗 泳   輝く水辺に かるがも泳ぎ

     天 上 青 青 第 一 峰   はるか向こうに 富士の山

         (七言絶句、冬韻)       (井本克二作)

       *****
 

*** 今週からしばらく大忙しの日となりそうです

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年 9月24日(月)06時46分29秒
編集済
        *****  *****

 全国の皆さん、お早うございます。上野原は静かな秋を迎えています。昨日はいつも

のように大月新生教会の礼拝に出席しました。午後には妻は上野原の朗読会の集まりが

あり教会からの帰りは自宅に寄らないで直接、上野原市立図書館に向かうとのことで、

自分が自宅に帰る時のために私は一足先に上野原駅の階段下の駐輪場に自転車を置いて

妻の車を待ちました。先週の礼拝の出席者は5名でしたが、この日は13名となりまし

た。法事のため岩手県に出かけていた役員もどんぐり牧場の「仲間」(職員)と共に出

席、夏のうちから会いたいとメールをくださった山梨八代教会の先輩牧師も夫人同伴で

やってきました。また近くの市立病院の医師夫妻も出席、八王子霊園勤務の青年もまた

秋分の日(彼岸の中日)にもかかわらず(時間ぎりぎりでしたが)到着して礼拝のヒム

プレーヤー、讃美歌自動演奏器操作の当番の責任を果たしてくれました。礼拝後は先輩

牧師夫妻と会食を考えていましたが、そのままお帰りになったので、私達二人はいつも

のように近くの大芳飯店で昼食をとり車で上野原駅前の駐輪場で別れました。土曜の夜

に完成した教会季刊誌「御太刀通信」第19号をこの日に皆さんに配ることができまし

た。

 今日の午前中は白菜畑を耕し20株を植え付けます。午前11時からはまたまた島田

桂生会(老人クラブ)の85歳の長老の葬儀があるので出席します。私が上野原に来る

前1995年から2002年まで島田東区の区長を4期8年間担当し、その間、島田区

長会(8区)の会長も務めた方です。私が2005~6年と区長を務め、また2005

年から13年まて民生委員となり、2012年から13年まで島田地区社会福祉協議会

の会長を勤めた時もいつも支えてくださいました。これで葬儀参列は今月3度目で、9

月13日(木)の導師は臨済宗大善寺派青苔寺、15日(土)は曹洞宗北辰寺、24日

(月)は天台宗法性寺の住職でした。最初のお二人については上野原ラブリ通信第85

4号9月18日号で報告しています。http://mitachi.life.coocan.jp

 今日の午後は、10月22日(月)から29日(月)に上野原市役所会議室で開催さ

れるりんどうの里美術展に出品する同じ団地の女性の作品(デジタルアート)を美術展

会長宅に運び込む手伝いをします。今週は多分、美術展のプロフィール集編集のために

忙しくなるはずです。十数名の画家から作品の写真がメールで届くので、それを私が編

集して来週早々に諏訪市の印刷所に送信します。来週10月1~2日(月~火)私は伊

豆半島の伊豆高原教会と伊豆高原十字の園で開催される東海教区キリスト教社会福祉フ

ォーラムに出席し、帰りがけに熱海の親戚の家に立ち寄り泊めてもらいます。翌日はそ

のまま東京に向かい、江戸川区船堀のタワーホールで開催中の書道展を覗いて来ます。

上野原の書家がまた私の漢詩を揮毫して出品しているからです。その日のうちに総武本

線本八幡駅から日暮里に出て、とねりライナー(自動運転電車)の足立小台駅で下車し

て近くの友人宅を訪問します。以前、上野原の老人クラブ仲間が尾久橋スカイハイツに

住んでいるからです。少し過密スケジュールですが楽しみにしています。

 それでは今日も一日、皆さんの上に主イエス・キリストの愛が。豊かにありますよう

に祈ります。

【写真上】市老連所属島田桂生会の美化活動で近くの市道の草刈りを二人でしました

【写真中】大月新生教会の礼拝に出席する94歳のN兄と老牧師夫妻と医師夫妻

【写真下】今週の礼拝堂の生け花です。何という花でしょうか。

       *****
 

***  私の「スリッパの話」は今年の1月5日の書き込みでしたね

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年 9月16日(日)06時10分35秒
編集済
       *****  *****

 全国の皆さん、お早うございます。上野原は昨晩の雨でしっとりとした朝を迎えています。

半年ぶりで再開した飯田兄との掲示板におけるやりとりを喜んでいます。彼が「スリッパの話」

を持ち出したので、これまでの掲示板の書き込みを調べたところ、今年の1月5日の「家庭と

は何か、夫婦とは何か、飯田さんへ」という私の書き込みからだと思い出しました。

 その時わたしは「妻の逆鱗に触れないよう気をつけています」と結びましたが、8か月たっ

た今日この頃はすっかり平和となり、昨日は朝食後、光文社古典新訳文庫の新訳「ロビンソン

・クルーソー」を先に読んでいる妻の報告を聞きながら穏やかに話し合いができました。二人

とも毎日新聞の書評を読んで関心を持ち、ネットで注文して届いた同書を妻に先に読んでもら

っていたものです。私は同時に注文したPLANETS社発行の落合陽一著「デジタルネイチャー、

生態系を為す汎神化した計算機による侘(わび)と寂(さび)」を先に読んでいます。30代

の著者の才気あふれる文章は面白いのですが、さびついた頭で理解するには少し負担が大きい

ので、休み休み読んでいます。とはいえ、私は若き日、古代から現代までの哲学史の名著・解

説を片端から読破していましたから、付いて行く自信はあります。

 

回答ありがとうございます。

 投稿者:飯田  投稿日:2018年 9月14日(金)04時04分49秒
  スリッパに関しては、冬用はブカブカだったので夏用を履いた上に履いたということでしたので、材質として温かいのかな?と思ってはいましたが、そうであればその材質を無視して夏用が肌に触れる履き方では、無意味ではないかと思っていましたので・・
つまりは買ってこられた方の行為を踏みにじる形となっているのではないかと・・・。

エホバの証人の方々の「三位一体」の否定というか・・ 確かに聖書には「三位一体」という言葉はありません。私がエホバの証人の方々にお話したのは、肉体は個々で区別があるが、「霊は意見が一致していれば個々の区切りは無く一つである。」と説明しました。
霊では違う考えがあればそれは分離している存在ですが、考えが一致していればそれは言葉である霊が一致しているということでもあるからです。

劇において偶像崇拝となる部分については私なら列王記 下の5:18を引用しますね。
5:18 ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」

あらかじめ神様に事情を説明して自分の意思によるのではないこと、属する組織の命令によるものだということで、赦しを乞えばいいのではないかと思います。

またエホバの証人の方々の輸血拒否についても話しました。
聖書にある「血をたべてはならない」の部分から拒否しているとおもいますが、その点で「あなたがたは正餐のようなものはないのですか?」と聞きました。そして「あなたがたはイエスの血を飲むことを拒否するのですか」と。
「正餐を受けた私たちはイエスの血を受けているので、同じイエスの血を輸血するなら問題ないのではないか」と。
そう説明すると、「あれはあくまでぶどう酒であり、イエスの血ではない」と。
そこで私は「イエスが母から頼まれたとき、水瓶の水を葡萄酒に変えたのも、あれねあくまで水といいはるのですか?」と返しました。イエスが「これは私の血である」と言われたらそれは血であるのです。それを信じられないなら聖書にある奇跡はすべて作り話になり、また信仰も無いことになります。そういう説明をしました。

またイエスの名よりもエホバの名ばかりで祈られるので使徒言行録
4:10 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
4:11 この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。
4:12 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」


上記部分を引用したら黙ってしまいました。

新改訳聖書では太字の「主」と記されている部分が「ヤハウェ」の記載の部分ですので、私は毎日の日課の聖書音読では「主」として読んだ後に「ヤハウェ」として発音して読み返し、そしてさらに「ヤーウェ」として発音して読み返しています。
「主」とされている理由が「むやみにヤハウェの名を唱えてはならない」の部分からであり、私自身は冷やかしでよんでいるわけではないので、「むやみに」には当てはまらないので読み替えして読むようにしているのです。
また同様に「イエス」も「エシュア」と読み替えて読み返しをしています。
国によっては「イエス」は「ヘスス」と発音したりするので、正確な発音自体はわかりませんが・・ 日本では長崎では「ヤソ」と呼んでいたこともありますね。

ただ、エホバの証人の方々は新世界訳ではありますが、聖書の内容はひととおり読んでおられるのでけっこう細かい話もできて勉強にはなります。
ただ、霊の解釈ができいいないので、肉に属する者の目線の話になりがちで、そういう部分が聖書の律法学者やパリサイ(ファリサイ)人のような印象を受けます。

モルモン教は「末日聖徒キリスト教会」とか名乗っていましたっけ。
聖書よりも、「モルモン書」とよばれるものを聖典扱いしていますからその部分で違いますね。

 

***  飯田兄の書き込み内容にこたえて

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年 9月13日(木)09時04分34秒
編集済
      *****  *****

 飯田さん、久しぶりの書き込みを有難うございます。前回の兄の書き込みは、何と3月4日(日)

の「千日回峰、即身仏」ですから半年ぶりということになりますね。とても嬉しく思っています。

 さて今回の書き込みの「冬用のスリッパ」から報告(妻に聞いてみました)します。「単純に、

夏は足が蒸れるので、教会や自宅ではイグサを敷いてつま先の空いたスリッパを用意し、冬は暖か

そうなスリッパがいいのでは」とのことでした。多分に自分の好みで決めているようです。私自身

の個人的な好みは、私の足の裏は血の巡りがよすぎて冬にラーメンでも食べるとすぐ足の裏がぽっ

ぽとなるほどです。冬でもスリッパをはくと足が蒸れるので、家でも教会でも、夏はもちろん冬で

もスリッパははきたくありません。ただ、教会で素足でいると親切な人がわざわざスリッパを持っ

てきてくれるので、自分ではくようにしています。家でもあまりはくことはなく、足の裏にごみな

どがつくと床が汚れていると分かるので雑巾がけなどをします。妻は「スリッパをはかないと靴下

が汚れる。だからといって家中の床をいつもきれいにするのと大変」と洗濯と掃除を念頭においた

発言をします。

 「エホバの証人」というのは、伝統的なキリスト教を徹底的に批判する教派です。「教会」では

なく「王国会館」と呼び「十字架」を否定して「イエスは丁字型あるいは杭に掛けられて死んだ」

と理解します。「新世界訳聖書」では「神の愛」は「神の御親切」と翻訳し、新約聖書の中でもエ

ホバと理解できる個所は「エホバ」と翻訳しています。東京神学大学の大学院で旧約学を専攻した

私としては、原典であるヘブライ語聖書で6823回ほどでてくるヤハウェ(エホバ)は固有名詞

ですので、フランス語のエルサレム・バイブルのように固有名詞として翻訳するべきであると考え

ています。その点では彼らは正しいと思います。

 以前わたしが勤務していた茅ヶ崎のキリスト教学校平和学園高校にはエホバの証人の生徒がいま

したので親しくなり、何度かユダヤ教のような「過ぎ越し祭り」受難週?に招待されて最後の晩餐

のようなセレモニーにも出席しました。家族ぐるみの教派ですので誰もが正装で参加し、集会後は

その家族と共に近くのレストランで会食したこともあります。

 ある年、高校でクリスマス劇をすることになり優秀なその女子生徒は3人の博士役のひとりに選

ばれました。しかし間もなく母親からクレームがつき「劇の中であっても幼子イエスの人形を礼拝

するのは偶像礼拝ですから娘に演じることは許せません」ということで役から外れることになりま

した。その生徒は大学へと進み平和学園小学校で教育実習を済ませてどこかの教員となりました。

 上野原に来てからも、山の中の我が家にも時々数名のグループが伝道のため家庭訪問に来ます。

その時も父子ふたり家に上がってもらいいろいろ話をしました。「私は伝統的なキリスト教徒です

ので改宗するつもりもありませんし、あなた方と論争するつもりもありません。ただ、どのような

信じ方をしているのか興味があるので聞かせてください」とお願いました。正式な統計はみかけま

せんがエホバの証人本部は海老名に大きなビルがあり、その信者は日本全国で数十万人ほどいるよ

うです。ほとんどプロテスタント教会最大の日本キリスト教団と同じほどの人数です。

 40年前、香港にいるときやはり家庭訪問を受けたモルモン教のアメリカ人信徒ふたりとも1時

間ほどいろいろ話しました。「あなたの広東語はあまりじょうずでないようです。英語で話しまし

ょう」とも言われました。モルモン経も読みましたが、ほとんどキリスト教との接点はなくキリス

ト教とは言えず、預言者モルルモンを尊敬する文字通り「モルモン教」であると思いました。「三

位一体は否定しない」とは言っていましたが、どうやら無視しているようでした。

 その点、「エホバの証人」は三位一体は否定しており、イエス・キリストを尊敬していますが、

「エホバ神」つまり父なる神に従属する方と理解していますが、いちおう「キリスト教」とは言え

るかもしれません。飯田兄のそのほかの「原罪」「十字架」「聖徒の交わり」に関する質問はまた

あらためて掲示板に書き込みますのでお待ちください。

      *****  *****
 

メールありがとうございました

 投稿者:飯田  投稿日:2018年 9月10日(月)22時16分4秒
  最近は平日休みの私のところに「エホバの証人」の方が回ってきてお話をしています。
私から見るとエホバの証人の方々は新約聖書の「律法学者」や「ファリサイ(パリサイ)人」のように見えます。
本人達は聖書の教えを守っていることを誇りにし、規律ある生活を送られていて、だらしない生活の私は見習うべき部分もあるとは感じながらも、「律法学者」や「ファリサイ(パリサイ)人」のような発言に、「こんな私を哀れんでください」と言う者の方が「義とされた」という話をして、「律法により義となるのではない」説明を聖書を引用して指摘すると向こうは困惑しています。
何度か来られましたので、エホバの証人の方々の聖書解釈の矛盾点を指摘していると、私自身の理解も深まり、良い勉強になりました。

エホバの証人の方々の「原罪」のとらえ方も少し疑問に感じましたので、それもレポートにしてみました。まだ修正したい部分はありますが・・・


それで最近、そういう部分や、他の部分で疑問になった部分があるので井本牧師に質問したいのですが・・

まず、「原罪とは、アダムとエバの行動で、どの部分から罪が始まったか」と、
「信者にとって十字架とは何か」と、
「聖徒の交わりとは何をすべきか」と、
話は飛んで、冬用スリッパという話があったので、私は1年中同じスリッパですが・・・
「冬用スリッパとは、夏用とどう違うのか。メリットは何があるのか」です。

よろしくお願いします。
 

日曜日の準備もほぼ終わって、のんびりした週末を過ごしています

 投稿者:井本克二  投稿日:2018年 9月 8日(土)16時36分17秒
編集済
      *****  *****

 全国の皆さん、こんにちは!台風21号が通り過ぎて、またまた厳しい残暑にもどり

ましたが、わたしは快適な書斎にいます。朝日の当たる2階の東側に重量感のある葭簀

が強い日差しをブロックしていますし、南側も北側もすだれとカーテンが強烈な日差し

を遮っているからです。我が家の唯一のエアコンのある2階の書斎で、明日の礼拝説教

の原稿も午前中に完成しましたので、午後はインターネット経由でユーチューブのクラ

シック音楽を聴いています。このところはビルデ・フラング演奏のモーツアルトのシン

フォニア・コンチェルタンテを何度も聞いていますが、今日は寝椅子に寝そべながらエ

レーネ・グリモーのピアノ・コンチェルトを聞きました。

 上野原ラブリ通信第852号http://mitachi.life.coocan.jp で紹介していますが、

7~8月の早朝に20回ほど昨年は田圃だったところを50センチほど掘削して溜池を

造成しましたが、9月4日(火)の台風21号の大雨で初めて自然湛水しました。

 9月5日(水)午後は大月市猿橋の平田宅家庭集会(旧約聖書民数記の輪読会)でし

た。先月に引き続き出席が予定されていた医師夫人は気分がすぐれないとのことで欠席

しましたが、いつもの4人の役員でゆっくり話すことができました。

 9月6日(木)は夏休みが終わって習字教室が再開されるはずでしたが、それぞれ都

合が悪く中止となり、先生役の妻はがっかりしていました。

 9月7日(金)午前中は上野原市立病院に出かけました。3~4年前に白内障の手術

を受けましたが、左目がかすむようになったので眼科に出かけました。午前8時に受付

開始というので30分前に病院に着きましたが、全体では5番目、眼科では最初となり

さらに30分待って助手の検眼があり、さらに30分待って医師の診察がありました。

4年前の白内障手術では濁った両目の水晶体を取り除き、代わりにレンズ埋め込んだの

りすが、それを包む袋が後発性白内障となったそうです。予約を取り9月27日(木)

午前9時にレーザーで治療し28日(金)午前9時に確認することになりました。簡単

な手術のようで安心しました。

 今後の予定は、9月10日(月)午前中に近くの欅歯科医院で親知らずの抜歯をして

もらい、午後2時の月曜礼拝を担当した後、電車で石和温泉駅に向かい9月10~11

日(月~火)石和温泉「糸柳」で開催される東海教区伝道協議会に出席します。その後

はしばらく暇で、上野原市りんどうの里美術展の参加者と作品のプロフィール集の編集

をします。諏訪湖のオノウエ印刷に作品の画像を編集して送信します。昨年10月に続

く2回目なので安心です。

 9月29日(土)は山梨県のねんりんピックで甲府市郊外の小瀬総合スポーツセンタ

ーに付き添いで出かけます。島田地区のグラウンド・ゴルフチームは今年コモアしおつ

のチームを破り再び出場です。10月1~2日(月~火)は伊豆高原教会に出かけ、東

海教区キリスト教社会福祉フォーラムに参加します。昨年は大月新生教会を会場に農業

協働生活体「どんぐり牧場」からの報告がありましたが、今回はカトリック教会との連

携で「聖書黙想」つまりキリスト教的座禅を体験します。

それぞれ終了後に報告する予定です。それでは皆さんの上に主イエス・キリストの祝福

が豊かにありますように祈ります。
 

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