|
|
(3)
以上のような各国政府、国連レベルの考えを頭において考えると、米英に追随しようとする日本政府の対応は、あながち批判するに当らないという気がする。
まず、私は、他の国のことはさておき、イラクを念頭において考えた場合、無条件に戦争には反対という「反戦」の考えに与することはできない。
私は今でも日本国憲法前文を諳んじて口にすることができるほど日本国憲法の平和主義を愛するが、しかし、この憲法の考えは国際協調を基調としたものである。この点からみると現実のイラクという国は警戒して観察するしかない。
なぜなら、イラン・イラク戦争や湾岸戦争にみるまでもなく、現在のイラク・フセイン政権は、自ら他国に対して侵略戦争を仕掛けている唯一無二の国であり、しかも自国内の少数民族を圧迫する目的で彼らに生物化学兵器を実際に使用したことがある国である。
もし、このような国が「反戦」という思想の保護対象となるなら、その対象となった国や地域はどういう思想で保護されるのであろうか。
こう考えると、「反戦」の意味すら理解できなくなる。
また、実際に、ベトナム戦争のときも「反戦」を唱え、「ベトナム人民の抵抗も停止せよというのか?」と批判を受けた政党もあったが、おそらく意図は「アメリカの戦争停止」のみ求めたかったのであろう。
それは今日でも変わっていないと思うし、また、それならば、それではイラクの扱いがいかにも不明であろう。
イラクはこのような国であるが、このような政権に対して、国際社会が国連を通じて何か政治的な対応を要求する場合、絶対平和・武力行使不可という原則を掲げて行うことは、最初から実効性を欠くものであることが明らかである。
国際社会からのイラクへの要請も、外交という国際政治の作用であることに変りはない。そして政治は、宗教でも道徳でもない。基になる思考が宗教や道徳に支えられることはあるかもしれないが、そのもの自体ではないのである。
まして国際政治となると、相互の信頼に基づく行動が前提である。交渉などによって約束したことの実現性が何によっても担保されないのなら、別に実効性が確保される道が必要となるのは論を待つまい。
その実効性を確保する手段は武力の行使であり、このことは国際的な理解でさえある。もっとも、現に12年もの間、国際社会は愚弄されて続けてきたのであるが。。
したがって、私の考えが正しければ、今、幾ら世界の反戦活動が高まっても、当面、イラクを巡って問題となるのは、現在の国際社会におけるる市民レベルの反戦行動ではなく、正に米英の早期攻撃が妥当か、独仏の査察継続が妥当かということでしかない。
念のためであるが、この独仏の査察継続も、イラクの対応如何によっては当然武力行使が行われうるものである。
そして、この二つの問の狭間に立たされたとき、私は残念ながら決め手となる情報を持たない一市民にしか過ぎないから、なんとも歯切れが悪くなるものの、米英の早期攻撃も独仏の査察継続案もあんまり違わないもののように思える。
その理由は、今後の査察の効果に全く期待ができないからである。
イラクの国土は日本の国土の1.2倍という広さを持つという。この広い国土に、国家的規模で周到に査察逃れの工作を施されたのなら、その摘発に何年を要するのか、そしてその間中、国際社会は、また愚弄され続けることになるのかと思うと、今後の国際テロの危険性などを考え、慄然とする。
結論的なことを言えば、アメリカのイラク攻撃に関する日本政府の考えは未だ公表されたものではないが、しかし、これまでの国会における答弁などからみれば、アメリカの攻撃があれば直ちにこれを容認するものと思われる。
そして、その根拠は、やはりイラクのフセイン政権の、これまでの対応からみると今後の査察継続から期待するところがない、というものであろう。
私も同じように考える。
独仏の査察継続案は、最終的な武力行使を留保して、できるだけ平和的に武装解除するというものであるが、それが可能ならばフセイン政権は長い期間を掛けずに実行できるはずである。
それができないのは、武装解除と同時に強権政治を行ってきた自らの政権の基盤が崩れるからにほかならず、このことは独仏の査察継続が(仮に期間を定めたとしてもなし崩し的に)長期化することを意味するに留まらず、フセイン政権の長期化=武装解除の実現不能をもまた意味するものである。
|
|