[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>まじめな話題 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

全114件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  |  《前のページ |  次のページ》 

新青春の会のホームページ

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 6日(木)23時40分57秒
   先日、GW中に、全く知らない方から「新青春の会」が発足している、というお知らせと、その会への入会を勧めるメールが届いた。
 それは嬉しいことと思って、紹介のあったホームページへ飛んでいった。
 そのURLはhttp://www.seisyun.jp/indexframe.htmであるから、ご関心のある方は是非覗いてみて欲しい。

 会の紹介や規約をみると、平成12年までに故宮澤次郎氏が会長だった頃の会の考えを受け継いだもののようなので、一昨日に入会申し込みのメールを発信すると共に、連休明けの今日、早速郵便局に会費の払い込みを行ってきた。
 何といっても、この幸齢ネットは、岡田義男訳のウルマン作「青春の詩」を一枚看板(?)にしているので、その著作権を保留していた団体である「青春の会」を引き継ぐ会ならば、普段とは違ってあんまり難しいことを言わないで加入したいと思ったのである。
また、それこそ難しいことを言わないで、この幸齢ネットにこの詩の転載を許可していただいた宮澤氏に応える道だと思っている。

 でも、この「新青春の会」のホームページの「最新関連サイトの紹介」を開けてみて驚いた。なんと、その一番と二番の「関連サイト」は、この幸齢ネットのページであった。
 この会は昨年発足したという。そのときに私のサイトを知っていたのなら、私にも声を掛けていただきたかった。また、ホームページを開いたときに私のサイトを知っていたのなら、そのときでもいいから声を掛けていただきたかった。そうすれば、リンク先は幸齢ネットのポータルサイトを紹介したのに。。。。

 第一、ほかの人のホームページをリンクするのなら、その開設者に「リンクを張りますよ!」と声を掛けるのがマナーと言うものである、、、と書きたいところだが、実はこれはジョークである。
 なんとなれば、私自身が「青春の詩」を掲げる複数のホームページにリンクを張っているが、実は誰にもおことわりしていない(^_^)。だから苦情など言える資格がないし、そのつもりもない。(^_^)
 私は、「青春の詩」はマナー無視でも何でもいいから、それほど、どんどん広めてみたいものだと思っている。

 

フセインの国でなくて良かった。

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 4日(火)21時42分25秒
   イラクでアメリカ軍やイギリス軍が、捕虜となったイラク人を虐待していた事実が発覚した。
 事の是非は言うまでもない、両国軍ばかりではなく両国が責められることであり、的確で厳正な対応がなされるべきである。
 テレビの画像では、イラク人が「アメリカの民主主義はこういうものだ。」とか、「これではフセインと変わらない。」とアメリカを非難しているのが印象的であった。

 しかしまた、よく考えてみるとこの虐待事件を摘発したのはアメリカ軍自身であり、私はここにフセインの国と日本を含む西欧民主主義の国との顕著な違いを感じる。
 いろいろな報道を総合すると、アグレイブの捕虜収容所長をつとめる女性の米国将軍(准将)が情報機関主導による虐待の事実をつかみ、調査し、摘発したものらしい。米英両国のマスメディアのニュースソースも、米国軍そのものであったと推測する。
 こうしたことが、資本主義の国なのか社会主義の国か分からなくなってきている大国や、よその国の国民を拉致した国の政治体制に期待できるかというと、それは今しばらくは無理な話である。

 今回の事件は米国の情報機関が主導したものと推測されているが、「情報機関」といえばそれはアメリカの場合はCIAだと思って間違いない。こういう情報機関は、軍隊とは違って手段を選ばず情報を入手するのが任務であるから、その任務の過程で人権を無視したやり方をするのは日常茶飯事である。この点は政治体制が違っていようが同じであろうが関係はない。そのことを容認することはできないが、国家間の対立と戦争が歴史の彼方に消え去るまではなくならないものと思う。

 しかし、大事なことは、例え捕虜であろうとも、人権を無視する虐待や侮辱が行われても、それを非難し、告発し、糾弾する勇気を持った人たちがその彼らの社会の各層に存在し、また実際にそれを支えるシステムが機能していることである。
 どっちみち、例外的に少数の政治体制を除いては、人権を無視する虐待や侮辱は公然と行われ得ない。それは、そうしたことを行う人が心やましいからである。それだけに、今回の事件が発覚した経緯には何かしら安心するところがある。

 

行進曲の選曲

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 2月22日(日)13時05分13秒
   この時期ちょっと忙しいので、また「今日のZAKKAN」を書けないでいたが幸齢交歓室を見ていると、小学校の頃の思い出につながる話題が多い。

 それで「小学校の頃は、何していたかな、、、?」と考えてみると、そういえば放送部の仕事をしたことがあったな、と思い出した。小学校6年生の頃、新たに校内放送設備が導入されたので、生徒によるアナウンスをさせてみようということだったと思う。
 なにしろ、その頃は300人くらいいた同学年生の中でも純真で真面目な優等生の一人だったから(?)、思えばほかの同じような児童とともにいろいろなことを学校から経験させられたと思う。
 百葉箱の温度計・湿度計など毎日の気象状況の記録をしたし、その小学校の開校50年の歴史と日本の歴史とを対比する年表を作ったことがあったし、台風進路の「研究報告発表」もしたことがある。
 そういうことを一応こなしていたから、新しい放送設備の操作も少人数のグループの一人としてある程度任されたと思う。
 校内放送の主な仕事は、登校時に少し早めに学校に行き、そこで登退校出口のあるグラウンドにスピーカーを向けて、元気の出そうな行進曲のレコードなどを流すのである。
 放課後も、児童が遊んでいる一定時間同じようなことをし、夕方近くなると、「そろそろおうちに帰りましょう!」とアナウンスしていたかのように思う。

 ところが、その「優等生」があるとき大失敗した。
 ある朝、そのときも早く登校して、その朝の使用するレコードを選んでいた。レコードはほとんどが古いもので、運動会などのときに聞いたスラーやスッペなどの行進曲が中心だったが、日本のものは「荒城の月」とか童謡とかが多かった。
 しかし、その朝は「もっとほかにも聞いたこのない曲はないか?」と、放送室に当てられた部屋の棚を探したら、結構、日本の行進曲が出てきた。私は、「なんだ、日本にだって行進曲があるんだ。」と思って、その一枚を放送することにした。
 実際にかけてみると、なかなか威勢がいい。確か「見よ、東海の空明けて〜」という歌詞で、「なかなか調子がいいな。。」などと級友と話しながら聞いていた。
 
 すると、突然廊下のほうが騒がしくなり、ドヤドヤ、、、と3人ばかりの先生が、ガラっと激しく牽き戸を開けて放送室に飛び込んできた。
 あっけにとられていると、まだ放送中の音楽のプレイヤーのスイッチをバチンと切り、
スピーカーを放送室に引っ込め、レコード盤を点検し始め、10枚くらいのレコードは一人の先生が抱え込んでしまった。
 部室にいた3人ばかりの児童が呆然としているのに気が付いたのか、一人の男の先生が「こういう曲を町に流したら、たちまち学校が怒られるんだ!」と説明してくれたので、何か、してはいけないことをしたのかな、と初めて気になった。
 勿論、曲は「愛国行進曲」であった。昭和29年の夏か秋のことで、日本は独立はしたが、朝鮮戦争の余燼がくすぶり、冷戦下にあった時期だったためであろうか?

 時移り、旭川にある陸上自衛隊第二師団を中心としたイラク人道復興支援部隊が派遣された。テレビでみたのは陸上自衛隊派遣部隊の壮行会だったか海上自衛隊のそれだったか忘れたが、そのときに自衛隊が歓送のために演奏していたのは軍艦マーチである。
 この曲はパチンコ店のテーマ曲(?)にもなっているが、我々が中学生の頃から吹奏楽部の発表会でも演奏されていた。中学生の時代と小学校6年の時期とがそんなに離れていたとも思えない。
 そうすると、愛国行進曲と、名曲と言われる軍艦マーチとの差に過ぎなかったのだろうか?それとも、歌詞付きでかつコーラス入りだったからいけなかったか?
 ま、「昭和維新の歌」を大音量で響かせて市街地を車で走る人たちもいるので、これらの曲は簡単に共感を得ないかも知れない。しかし、小学校のときに感じた呆然とした戸惑いは、この頃になって、ようやく「先生方の管理不備と過剰反応」という評価になってよみがえってくる。

 

超常現象!?(1)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 2月 5日(木)00時16分4秒
   世の中には、超常現象というものがあると聞く。その種類は雑多と言ってもいいほど多いし、写真集なども発刊されている。
 また、私自身はかなり合理的な精神の持ち主であるつもりだが、しかしこの種の現象を信じないわけではないし、ささやかな経験もある。
 
 しかし、昨日は実に不気味な思いをした。白昼ではないが、人の沢山集まっている中での現象であり、多くの他人から見れば都会にありふれた出来事と片付けられそうなものだが、私にしてみれば「超常現象」としか言いようがない。

 これにはこの現象に関連する私の行動を書いておかなければならない。
 まず、第一。私はある人と、新宿で4日の午後4時に会う約束をしていた。
 第二。しかし、これは私の勘違いで、4時過ぎにその人から電話が来て、「今日3日午後4時の待ち合わせの約束なのに、どうして来てくれないのか?」と電話が入り、慌てて新宿まで出かけ、JR新宿駅の山の手線ホームに午後5時に着いた。
 第三。その人との用件は午後7時までに終わり、その後、3人で居酒屋1軒、カラオケ・スナック1件を回り、午後10時に帰途に着き、私は東急東横線渋谷駅3番ホームに午後10時半に着いた。
 以上のことをご記憶願いたい。つまり、第二の新宿駅山手線ホーム到着が午後5時で、
第三の東急東横線渋谷駅4番ホームへの到着が午後10時半であり、その間は5時間半もの間隔があった。
 

超常現象!?(2)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 2月 5日(木)00時09分38秒
   さて、第二の新宿駅山手線ホームに降りて、中央階段を西口に降りようとすると、「馬鹿野郎!」とでも怒鳴るような、金切り声がする。その時間帯は夕方の混雑が始まる頃で、私だけでなく沢山の人がいたが、他の人たちも一斉に声のほうをみた。
 しかし、どうも混乱はないようだ。ただ、私の乗っていた車両から出てきた後ろ向きの若い女性が大きな声を立てたようだ。
 その女性は、大きな帽子を被り、黒いコートを羽織った小柄な女性である。顔は見えない。それほど大きな帽子で、丁度、アニメーション映画「銀河鉄道」の女性主人公が被っていたような深いものだ。
 誰か、この女性に悪さでもした人がいたのかと思って、周囲をみたが、それらしき様子はない。ただ、この女性が喚いているだけのようだ。
 私は、その女性の後ろに立つのは避け、遠回りして階段を降りようとした。そして、遠回りしたものの、その女性はまだホームにいたので、私のほうが先に階段の中間に差し掛かった。
 すると、また大きな喚き声がし、振り向くと、件の女性が少し急ぎ足になりながら階段を降り、私の脇をすり抜けて先に通路に立った。通路に立った女性は、まだ喚いているので、当然通路を歩く人たちが一斉に注目していた。
 私は、彼女を避けるように、通路の右側に沿って改札口に向ったが、彼女は私とは反対の方向に向った。ところが、そう思ったのは早計で、私が改札口を抜けようとしたときに、
彼女はまたも喚いて、私の通り抜けようとしていた改札口に小走りに向かい、丁度近くにあったNTTの公衆電話の受話器を取り上げるや、ガチャン!と叩き付け、そして、私の後を追うように改札口を抜けて西口へ出てきた。

 

超常現象!?(3)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 2月 5日(木)00時08分21秒
   こうなると、どうも私としても気味が悪い。彼女は何かに腹を立てているようなのだが、それは声だけで、歩くのはサッサとしていてスタイルがいい。
 しかし、喚いている言葉は、どうも日本語ではない。これは係わり合いになってはいけないと考えて、ひたすら彼女と離れて知人との待合場所に向おうとした。
 ところがおかしいのである。
 私は彼女と距離をとって歩いているのに、いったん離れたような彼女は、いつかまた喚きながら私の前になり、後ろになり、しかも同じ方向に向うのである。 
 私は、すっかり気味が悪くなり、とうとう彼女が視界から消えるまで立ち尽くしてしまった。
 午後10時。知人が「さあ、帰るか!」とカラオケ・スナックで立ち上がり、一人とは
新宿駅で別れ、もう一人は東京東横線渋谷駅の中の急行ホームに向うと言うのでそこで別れた。それが10時半。
 私は各駅停車のホームである4番線に向ったが、そこで、またあの彼女が、私の後ろから歩いてきて、大きな喚き声を出したのである。
 私は慌てて、3両分ほど前まで急ぎ足で逃げ、混雑している人影に身を隠してしまった。

 こういう出来事は、単なる偶然か、それとも超常現象か?
 混雑の中で、あれだけの人数がいる中で、5時間以上も経て同じような嫌な経験をするというのは、他の一度しか彼女に遭わなかった人はいざ知らず、少なくとも私は超常現象だと思うのだが、違うだろうか?
 

 

「俳句雑記帖」再掲について

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時32分52秒
  皆さん
こんばんは

昨日、俳句雑記帖1−7までアップしましたところ、いくつかの大変好意的なご感想を
いただきました。ありがとうございました。

しかしながら、「最終第7回は、いかにも分かりづらい。」というご指摘も賜りました。
考えてみれば、メロウ句会のとりまとめをしながら書いていましたので、かなり端折っ
たようなところがありまして、私も反省しております。

そこで、最終部分はかなり手直しいたしました。また、他の部分も部分的に手直しいた
しまして第1回分から再掲させていただきました。
これに伴い、前回アップ分はできるだけ早い時間に削除させていただきますので、ご了
解のほどお願いいたします。

 

俳句雑記帖1

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時25分13秒
  俳句雑記帖1 

ある俳句随筆集との出会い

 明けましたから2年も前になりますが、五反田に出かけたときの帰りに、用事が済んでからbook off という古書店で、金子兜太編「日本の名随筆・別巻25「俳句」を買ってきていました。
 ま、どこで買ってこようと話の本筋には関係ないようですが、中々大きな店なのでちょっとだけ触れておきます。この店は「古本屋」というイメージとはかけ離れた大型店で、2階に分かれている売り場面積は、あたかもスーパーのような広さで、ここに蔵書(いや、商品の本(?))が何千冊も整然と並べられている、そういう新しい形の古書店なんです。
 本の立ち読みだと何時間でも構わない私は、暫くあの本、この本と、とっかえひっかえ見ていたのですが、遂に、俳句の本のコーナーに辿りつき早速1冊の本を買い求めました。
 1冊は、現代随想全集18巻(創元社・昭和29年刊)で、高浜虚子、斎藤茂吉、釋迢空の3人の隋筆が収められています。当時の価格で380円ですが支払ったお金はその何倍かしました。

 次いで眼にとまったのが、「日本の名随筆」(作品社・1993年刊)だったのです。
 ところが、この本を買うかどうかで、私は大いに迷ってしまいました。迷った理由はただ一つ、編者が金子兜太だったからです。
実は、私には、あんまり金子兜太の俳句に対するお考えが理解できないところがあります。金子兜太さんの俳句への姿勢は良く理解できます。現にこの方の「私の履歴書」が日本経済新聞に連載されたときなどは熱心に読んだものです。
 けれども、実際に自分でも俳句をはじめ、人に教えられながら作句していると、どうも有季定型・花鳥諷詠という考え方が私にはしっくり来るのです。
 そこで、「金子兜太さんの編集の本だと、、、、どうなのかなあ?」と思ってしまったのです。
 暫く逡巡しましたが、けれども集められている随筆の筆者をみると森鴎外もいれば大岡信もいる。江国滋もいるし、勿論正岡子規もいる。特に、以前「俳句入門三十三講」を読んで面白かったと思った飯田龍太もいます。そこで、結局この本を買うことにしました。

 

俳句雑記帖2

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時23分33秒
  俳句雑記帖2

 俳句が人をひきつけるもの

 さて、この『日本の名随筆「俳句」』を読み返してゆきますと、現代詩歌評論の第一人者である大岡信が登場していました。大岡 信の随筆は「私の芭蕉」です。
 この方の文体も面白くて読みやすいものです。ここでは「中学生の頃は芭蕉なんて人は鬱陶しいと思っていた。」という書き出しで始まるので思わずひきつけられました。
 大岡 信が言いたいことは、中学生の頃から「古池や」とか「名月や」とかの句を押し付けられても、全然俳句に興味をもてません、ということです。なるほど、そうかもしれません。しかし、紆余曲折を経て、大岡 信は結局「今の私にとっては」芭蕉は「日本最高の詩人」ということになってしまいます。この理由は、芭蕉の俳論に惹かれたからだったのです。

 読み返してみて、「あれ、この書き方どこかで見たなあ、、、。」と思って暫く考えてみたら、そうそう、今年の日本経済新聞だよ、、と思い出しました。それで、古新聞溜めを漁ったら出てきました。今年4日の日本経済新聞の最終面、文化欄に『「去年今年」は季語だった!』という随筆で大岡 信が書いているのです。
 ここでは、虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という有名な句を題材にして、「こんな短い句一つで、去年という年をも、一本の棒で刺し貫いて、悠々と自然界を睨みつけているこの虚子という老俳人は、ただ者ではないなあ、と若僧は恐れいったのだった。」と学生時代の思い出を書いています。
 ところが、その後で大岡 信は「去年今年」という語が俳句の季語であることを知り、「なあんだ!」と思ってしまうのです。そうして、「なあんだ」と思ったけれども、それで虚子の句に興ざめしたかというとそうではなくて、矢張りこの句は凄い、と言うんですね。。ともかく複雑なんです。

 こうやって大岡 信のいうことを考えてみると、彼は決して俳句を目指したのではないのですが、俳句から得られた驚きから俳句について大きな関心を抱いたのだなあ、ということが感じ取られます。
 大岡 信は「私の芭蕉」では、自分がもし芭蕉を少年達に語らなければならなくなったとしたら、芭蕉が弟子の去来のことを叱ったときのことから話してゆくと結論付けていますが、人に興味を持たせるためにはどうするか、特に俳句に興味を抱かせるには、俳句の持つ特異性を強調せよと言っているように思えます。
 この特異性が「驚き」であるならば、二つの随筆に共通する事柄を私流に解釈し、俳句の齎す「感動」ということになるのではないかと思ったところです。

 

俳句雑記帖3

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時22分32秒
  俳句雑記帖3

俳句の上達法

 「日本の名随筆(25)俳句」を読んでいきますと、飯田龍太の「俳句は石垣のようなもの」という随筆に行き当たります。
 この随筆のテーマである「石垣のようなもの」というのは、残念ながら少し難しいので、説明するには長文を要するように思います。しかし、それでは「雑記帖」の域を超えて論文になってしまいますので、これは各自で御読みいただきたいと思います。
 この随筆で面白いのはその前半部分です。飯田龍太の文章は、名著「俳句入門三十三講」(講談社学術文庫755)でお分かりの様に非常に平明に書かれていることです。
 「俳句は石垣のようなもの」では、ある句会の最後に「俳句がうまくなるにはどうすればいいでしょうか」と聞かれて答えたことが書かれています。
 飯田龍太は、まず、「しかし、そんな便利な秘訣があるわけがない。第一、それを知っていたら、誰にも教えないで私自身、もっとましな俳句を作っているだろう。」と書いています。言い得て妙だと思います。
 そうは言いながら、それでも飯田龍太は3つのことをあげています。
 一つは、365日、毎日1句、日記でもいい、家計簿のすみでもいいから書きつけなさい。365句目には、必ずあなた自身の俳句が生まれているはずです」と述べています。もっともこれには一つ条件があるとも付け加えていますが、これは後回しにしましょう。いずれにしても、私にはできなかった事柄です。
 二つは、いついかなる季節でも、自分の好きな先人の秀句を1句だけ記憶していること、だということです。
 今は、新年ですから、私は、この前取り上げた虚子の句、「去年今年貫く棒のごときもの」を覚えていますから、差し当たり二つ目の条件はクリアです。
 三つは、「他郷を故郷のごとく、逆にまた故郷にあっては、時に他郷のおもいをこめて四時見なれた風景を改めて見直してみることである。」ということです。
これは中々気のつかぬことでした。

 飯田龍太は、この3つのことについて縷縷説明を加えていますが、この中で一番大事で、しかも難しいのは第一点だと言っています。しかしこれをやらないと自分の句ができない、ということを言いたいようです。これを書き抜くとこういうことになります。
「俳句というものは、結局自選の是非が、そのひとの将来を決するものである。そのきびしさを最初から身につけることが大事だ。先達に指導を仰ぐ場合でも、基本にその姿勢がなければ、永久に自分自身の作品とはならない。」
 ここまで読んで、、う〜ん、と唸りますが、、、さて、できるかなあ、、、ま、努力してみよう、、、と考えたところですが、、、、。


 

俳句雑記帖4

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時20分36秒
  俳句雑記帖4

 「明治の雪」の発想

 お正月も七草粥の時期を過ぎますと、寒さも段々厳しくなって来ます。
 暖冬と言われ、また関東の様にあまり雪が降らないところでもこうなのですから、北国や北陸・日本海側の土地では大変だと思います。
 雪といえば、「日本の名随筆(25)俳句」を読み進んでいきますと安東次男の「明治の雪」という随筆に触れました。
 ここでは、山口青邨の
        外套の裏は緋なりき明治の雪
 という句と、中村草田男の
        降る雪や明治は遠くなりにけり
 の2句が紹介されています。
 山口青邨の句は昭和16年、中村草田男の句は昭和元年の作(発表は昭和6年のホトトギス誌上)だということですが、安東さんは、何れの句も、その時代の空気を、表には出さずにしかと言い留めている、と評しています。

 なるほど、そうかもしれません。ただ、私の考えはもう少し別のところにありました。それは山口青邨も中村草田男も、昭和の時代に入ってから「明治の雪」を詠んでいるという奇妙な一致のことなんです。
 自分が何かを題材にして俳句を詠もうとする時、一体こんなことができるかというと、とてもそういう発想が湧かないと思います。
 それは無論、山口青邨も中村草田男も明治の生まれですから、彼らが小さかったときの昔のことを回顧して詠んでも不思議はない、と思われるかもしれません。
 しかし、そうでしょうか?私は、これを自分の場合に引き移すと、私なら昭和の生まれですから、平成のこの時代に昭和のことを詠めるかというと、そうした発想は湧かない、ということを言いたいのです。
 どうしてかというと、今の私は「どうすれば良い俳句をつくれるか?」ということについて、ひとつの法則(?)を理解していないからです。
 
 しかし、この安東次男の随筆に二つの「明治の雪」の句を並べられ、そうして、この句が生まれたのが昭和の時代であることを知って、途端に、前に読んだ飯田龍太の三つめの法則(?)「他郷を故郷のごとく、逆にまた故郷にあっては、時に他郷のおもいをこめて四時見なれた風景を改めて見直してみることである。」ということを思い出したのです。
 この中の「他郷」と「故郷」を、「過去・現在・未来」の時制に置き換えれば、こういう発想が出てきても不思議は無いわけです。
 こう考えたことは、皆さんには、「何を簡単なことなのに、いかにも難しいことを見つけたように書いて。。。」と思われるかもしれませんが、実は大きな収穫だったのです。

 

俳句雑記帖5

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時19分30秒
  俳句雑記帖5

 子規の「幾たびも」の句の鑑賞

 このことは、子規の「明治の雪」に関する句についての山本健吉の鑑賞文についての私の理解を述べることにより、説明することに致します。
 子規の「明治の雪」に関する句というのは明治29年の作
 いくたびも雪の深さを尋ねけり
の句のことです。
 この句は評論家・仁平 勝によれば「文句無く「獺祭書屋俳句帖抄上巻」中の最高傑作」という句であり、「こういう句に出会って読者は本当の意味で子規の文学に触れるのだ。」とも言われます(仁平 勝「俳句が文学になるとき」五柳書院刊47ページ)。
 この句については、多くの解説や鑑賞があるようですが、残念ながら私の書架にはこの句を鑑賞したものは5冊しかありません。その5冊とも、この句を激賞していますが、しかし、鑑賞において[過去、現在、未来」という時制をこの句の鑑賞に持ち込んだのは山本健吉だけでした。このことに、というのは、この山本健吉の鑑賞について、ということですが、当初私は非常に違和感を覚えたのです。

 これを分りやすく説明するには、これらの記述を掲げなければいけません。それでその概要をお示しします。
 まず、行方克巳・西村和子著「名句鑑賞読本」(角川書店)は、
西村和子の評として、「温暖な松山に生まれ育ち松山に生まれ育ち、東京で生活している子規にとって、年に数度の東京の大雪は、心ひかれる景であったにちがいない。ただでさえ変化のない病床六尺の天地である。雪が降ったら外へ出てもみたい。その心の動きが「いくたびも」にこめられていよう。」としています。
 次いで、共著者の行方克巳は、「この句が作られた明治29年、子規の腰痛はその当時の医学では不治の病ともいえるカリエスであることがはっきりする。花見に行ったり外出することも何度かあったのだが、11月には病状が進み、病臥の毎日を余儀なくされるようになってしまった。病む子規にとって、障子の外の雪景色は一大事なのである。家人の言葉を仲介にして彼の脳裏に雪は切々と降り積もってゆく。子規の空想世界において雪景色は刻々と変化していくのである。」としています。
 ここでご注意いただきたいのは、二人とも、明治29年という当時のまま、つまり子規が現に病床にあるそのときの、過去現在形での鑑賞になっているということです。

 同じような鑑賞は、先ほど掲げた仁平 勝もしています。
 彼は、先ほど掲げた行に続けて、この句は「子規自身が近代俳句に求めたものが、最高の状態で詩を生み出すことに成功している。”実際に有のままを写す”写生の方法は、病床で動くことのできない自身の姿を描けるようになった。その肉体をではなく、外界の「雪」を想像しようとする心の中をである。”いくたびも”がそれこそ写生の言葉なのだ。たずねる内容が『雪の”深さ”』であることによって、この句はけっして静止することなく、降り続く雪とともに時間のなかを動いていく。そして"雪”は、文字通り季の約束によって、外界にある冬の季節全体を表現する契機たりえている。ここまでくればもはや配合の妙などは無用なのだ。」としています。
このように、子規が病床にいる時間を動いていく句であることを強調する鑑賞になっています。

 実は、ほぼ同じような鑑賞はもう一つあります。尾形仂編「新編俳句の鑑賞事典」(笠間書院)338ページで宮坂静生という人が鑑賞していますが、これは省略しておきます。ただ、南国生まれの子規には雪が珍しかったであろう、ということを述べているので、これは、前掲の西村和子の鑑賞とは同じですが、次回にご紹介する山本健吉の鑑賞とは違いますので、この点は特記しておきます。

 

俳句雑記帖6

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時18分19秒
  俳句雑記帖6

  山本健吉の鑑賞への違和感

 これに対し、山本健吉の鑑賞文はどのようなものでしょうか?彼の鑑賞文はかなり長いものです。それは「定本現代俳句」(角川選書)に収められているのですが、この鑑賞の全文を掲げることは少し難しい話しです。そこで、概要をお示しすることに留めますが、これまで述べた他の人とかなり相違する点は正確に引用したいと思います。
 まず、山本健吉は、この
 いくたびも雪の深さを尋ねけり
 の句について、冒頭に「病中の子規の境涯のにじみ出ている句である。」として、その後は他の4人とほぼ近い鑑賞をしています。
 しかし、その後に次のような文章が続きます。
 「おそらく子規は、少年のころ物指で雪の深さを量って打ち興じたりしたことを、病床で思い出したのであろう。遠いところから降ってくるこの美しい『使者』は、何か少年時代への郷愁を喚び起こすようなものを持っているのだ。『降る雪や明治は遠くなりにけり」(草田男)「外套の裏は緋なりき明治の雪」(青邨)などは、明らかに少年時代への思慕に裏付けられているし、「限りなく降る雪何をもたらすや」(三鬼)「力なく降る雪なればなぐさまず」(波鏡)などは、何かはるかなものへの郷愁ともいうべき気持ちが揺曳している。」
 続けて山本健吉は、「病気の子規の気持ちは、いわば少年の愚に還っているのである。刻々と降り積もる雪に、少年のように子規の心は逸るのである。『いくたびも』といい、『尋ねけり』と言ったところに、それははっきり表現されている。」
 と、この鑑賞を強調しています。
 鑑賞はまだまだ続きますが、けれどもこの後は、子規を俳諧の歴史上にどのように位置づけようとするか、ということに関連していきますから、これ以上の引用は省略します。

 私は、この引用した箇所を読んで、強い違和感を感じました。
 四国の松山と言う温暖の地に育った子規が、「少年のころ物指で雪の深さを雪の深さを量って打ち興じたりしたことを、病床で思い出したのであろう。」ということが、どうして鑑賞の帰結として文章に出てくるのか、そこが納得が行かなかったのです。 無論、松山でも雪は降ることでしょう。それは否定できません。
 けれども、私の様に雪国に生まれてそこで育ち、今、成人期から高齢期に至って東京に住んでいる者とは異なり、子規の雪に接する機会は、その少年期には数える程の数しかなかったのでしょうから、雪に関していつまでも少年のときの出来事を引きずるほどの思いがあったとは、とても感じられなかったのです。
 現に、前に引用した西村和子も、「温暖な松山に生まれ育ち、東京で生活している子規にとって、年に数度の東京の大雪は心ひかれる景であったにちがいない。」というもので、これは子規にとっては、雪はもの珍らしさ程度のものであったことを述べているものと思います。そうでないとしても、つまり、子規の感受性が常人のものとは違うとしても、現に雪が降り積もっている光景への執着に留まると考えるのが普通なのではないでしょうか。
 したがって、私も、とても、少年の頃のことまで思いをめぐらすほどの着想は湧かなかったし、それがまた普通の鑑賞だろうと思ったのです。
 ところが、山本健吉は、「明治の雪」の句は、「明らかに少年時代への思慕に裏付けられている」(草田男、青邨の句)し、「何かはるかなものへの郷愁ともいうべき気持ちが揺曳している。」(三鬼、波郷の句)として、子規のこの「いくたびの」の句を「子規の気持ちは、いわば少年の愚に還っている。」とまで断言しているのです。
 ひとつの句からここまでの鑑賞をする奥行きの深さはまことに素晴らしいものだと思いますが、残念ながら私には理解を超えるものでした。
 私は時としてメロウ句会において、やや、長めの感想を書いたり、あるいは吟行会で理屈ぶった感想を述べることがあります。
 そうしたときは、作者が明らかになって自句自解されるときに、一言、「能彦さんの感想は読みすぎです。」と言われることがあります。私の、山本健吉の鑑賞を読んでの感想は、正に「これは読みすぎだ!」というものでした。
 それかあってか、この5人の鑑賞を読んでから就寝のための布団に入ったときの私は、「しかし、俳人といっても人によって随分と違った感想があるものだ。ことに、松山の人が子供の頃に見た雪にそんなにも強い思いを持つかのような感想はとても自分には思いつかない。”選句も創作である。”といわれるが、こういう鑑賞は良くない意味での創作ではないのか?」と、高名な人への不信感で寝付かれぬ思いでいたものです。
 

俳句雑記帖7

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時17分12秒
  俳句雑記帖7

  「雪は懐古の情を誘う」ということ

 しかし、この感想は、日本の名随筆「俳句」で、先に挙げた飯田龍太さんの随筆と安東次男さんの随筆を読んだときに、見事に覆ってしまいました。
 そもそも山本健吉の鑑賞文を読んだ時に、子規の雪への思いに関して不審を覚えるのと同じくらいに不思議に思われたのは、山本健吉が中村草田男、山口青邨の二人の「明治の雪」の句について「明らかに少年時代への思慕に裏付けれられている。」と断言していたことです。
 私のような俳句についての初心者に限らず、多くの人はいわゆる名句という句について諳んじて覚えているとしても、その作られた時代背景まで遡って覚えているということは稀ではないでしょうか?そのために、山本健吉がどうしてこの二人の句について断言をこめた解説をし、次いでこの解釈を子規の気持ちの中にまで及ぼしたということがどうしても納得がゆかなかったのです。
 話が前後するかもしれませんが、私が子規の「幾たびも」の句の鑑賞文を読んだのは安東次男の随筆を読む前でした。ですから、その後で安東次男の随筆を読んで初めて「明治の雪」の作られた時期を知ったことになります。いわば、中村草田男といい、山口青邨といい、この高名な俳人が活躍した時期を知らなかったことが、山本健吉の鑑賞文を理解できなかった原因ということになります。

 もっとも、「明治の雪」のこの二つの句が「「明らかに少年時代への思慕に裏付けれられている。」としても、子規の「幾たびの」句も同じかどうかはまた別です。
 しかし、まず、「明治の雪」の二つの句について調べてみましょう。
 確かにこの二つの句が作られたのが昭和の時代であることは明らかで、草田男の場合には、明治の最後の年である子供の頃に通った小学校に降る雪に想を得て作ったものと自句自解しています。また、山口青邨の句も、本人の書いたものの中で、降る雪を明治の頃にみたマントの裏地の緋色を思い出したものと理解されています。
 そして何よりも山本健吉自身が、これらの句の解説の中で、「雪が懐古の情を誘う。」と解説しています(山本・前掲書の該当句の部分)。
 こうしてみると、「明治の雪」の句が、山本健吉にとっては作者の子供時代を回顧するものであっても、それは不思議のないことだったのでしょう。
 また、石田波郷、西東三鬼の句については調べることができませんでしたが、山本健吉の雪に関する思いがこのようなものであるとすれば、それは然るべきことなのであろうと思います。
 

俳句雑記帖8

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 1月18日(日)17時16分13秒
  俳句雑記帖8

  鑑賞もまた俳句の創作


 では、他の鑑賞者が「幾たびも」の句において、そうした、子規が子供心に還えったような鑑賞をしていない中で、自分としては山本健吉の鑑賞をどうして認めることになるのか。
 それが私は、飯田龍太の三つ目の法則(?)、私があえて名付けるとすれば、「転換の法則」とでもいうものによることを認めれば良いのだと思います。これは他郷を自郷に転換し、あるいはその逆を考えることですが、そうであれば、時制も現在と過去、現在と未来を転換することもできると思います。そうした議論の究極の姿として、花鳥諷詠が可能になるかという疑問が湧いてくるような惧れもあります。けれども少なくとも「回顧」という視点からは可能であり、「期待・願望」という視点からも可能であると思いますので、現在から過去、現在から未来への転換はできることになります。そうするととりあえず、その余のことは、それはまたこれからの考える課題とさせていただいて良い様に思います。
 こう考えてくると、「幾たびも」の句も、病床にある人が雪という特別な自然を媒介にして、確かに少年時代への思慕、あるいは「何かはるかなものへの郷愁」というものを感じて詠むことはあり得る訳で、そういう解釈や鑑賞を否定することはできないなあ、と自然に納得のゆく仕儀となってしまったのです。
 こうして、飯田龍太のの3つめの法則は時制についても可能なのだと考えれば、むしろこういう鑑賞や解釈こそ、本人の句を更に高めるものになるようにさえ思えてきました。やはり、高浜虚子のいうように「選句も創作」なら、「鑑賞もまた創作」と言えるのではないでしょうか?
 
 このように、作句の背景を知り、さらに句作の法則を知れば、どうやらまた、俳句についての新しい視点を得られるように思われてきます。これもまた俳句の楽しさでしょうか?(了)


 

二人の元首相への引退勧告

 投稿者:能彦  投稿日:2003年10月24日(金)22時37分52秒
   小泉首相が宮沢喜一、中曽根康弘両元首相に政界からの引退勧告をし、宮沢氏が聞き入れ、中曽根氏は拒否した。
 正しい言い方は別にあるのかもしれない。小泉首相も中曽根氏には「中曽根先生は、今、国際的にも、国内的にも、どの地位にあっても発言や行動は注目され、みんな影響を受ける立場にある。」と述べたというが、これでは政界からの引退勧告を行ったとは言えない。この後、単に「自民党比例区候補者名簿登載から外させてくれ」と要請することになるだけだからである。
 でも、そんな議論をする人は日本中で誰もいない。上の文章では「単に」とか「なるだけ」ということがそもそもおかしいのである。だからこそ中曽根氏は首相の話を皆まで聞かずに遮って反論したのである。これは明確な引退勧告であった。
 
 これに対する元首相二人の対応は対照的であり、この点をめぐって、、いや、二人の対応と首相の引退勧告の是非も含めていろいろな反応が渦巻いた。
 今日の産経新聞などは中曽根元首相を褒め称え、特に現在の憲法の擁護者である宮沢元首相が引退勧告を許容し、憲法改正論者の中曽根元首相が引退を拒否したことに「今日の時代状況を感じざるを得ない。」としている。
 私は、別にこのお二人を好きでも嫌いでもないが、それぞれに日本の発展のために尽くされたことに敬意を表している。また、お二人の今回の対応もそれぞれの人柄を示すものだと思って興味深いものを感じた。
 しかし、それ以上に大きな政治上の問題のようには思えない。ここにあるのは政治における世代交代の在り方の問題ではなく、ある政党が定めた定年制が遵守されるかどうかだけの問題である。ましてや憲法改正論者であるかどうかなど全く無関係であると思う。

 そもそも政治に関し、政治に参加する人の資格として、もし「年齢適格が必要である。」とする議論があるなら、私はその議論はおかしいと思う。
 それならば幼児に選挙権も被選挙権も与えられないのと同様、超高齢者にも選挙権、非選挙権を与えないという議論を生み出す余地がある。だから、政治に参加する資格の問題は「年齢適格」の問題ではなく、社会一般の事柄の分別・弁識能力の有無でしかあり得ない。
 また、政治の世代交代の問題は、政治家一般の政治意識に清新さがあるか、政治の現状を常に改革してゆこうとする気概が保持されているかどうか等に代表される政治意識の問題である。
 こうしたことを抜きにした世論への気兼ねや、国会議員選挙立候補の順番待ち解消のために作られたある政党の定年制など、政治の世代交代の話とは無縁である。
 したがって、今回のこの二人の自民党元総裁でもある元首相へ引退勧告をするのも全くの党内事情、家庭内事情にしか過ぎない。
 そう考えれば、「総理・総裁には恥を掻かすわけにはいかにゆかない。」という宮沢元首相も立派だが、「北関東終身第一位という党が機関決定した約束があるじゃないか!」として引退を拒否した中曽根氏も立派だと思う。

 それよりも私が取り上げたいのは、中曽根元首相が記者会見の場で語ったという次の言葉である。
 「老人はいらないという印象を持たせることになれば、全国の老人がみんな反感を持つ。そういうことはとるべきことではない。」 
 これはまた元首相としては随分と低次元の話である。
 世の中の人は、気力が衰え、体力が低下した高齢者に対しては確かに期待するところが多くないかもしれない。
 しかし、意識が明晰で、言うべきことを適切な場で的確に指摘する高齢者には誰でも尊敬の念をもって耳を傾ける。
 これは高齢者は一般に人生の達人であり、社会の知恵者であるからである。「老人だから無用である。」という姥捨ての思想など持つはずが無い。
 社会一般の人が高齢者に嫌悪や忌避の気持ちを抱くのは、その高齢者が頑迷にして不遜な態度をとり、我のみが社会を体現するという尊大な気持ちを抱いて世人に対処するためであり、平たく言えば、理由も無く世の中の進歩とは反対の方向に向かおうとする場合だけである。
 したがって、自民党の定年制によって引退を勧告される人の中にいわゆる「老人」がいるとしても、世間の人は誰も一般論として「老人はいらない。」という印象など持つはずがない。高齢者は高齢者として世の中の発展に貢献している例は政界、財界、ジャーナリズム、NPOその他について枚挙に暇が無い。
 中曽根元首相が「自分は全国の老人の代表である。」という意識をお持ちなら、それは即刻認識を改めたほうがいい。これは飽くまでも自民党の内部のことでしかない。氏が引退するくらいで全国の高齢者が落胆するほど今の高齢者はか弱くない。
 だから、自民党の中の問題をいたずらに他に広げないように願いたい。

 

熱戦!日米プロ野球

 投稿者:能彦  投稿日:2003年10月24日(金)00時46分58秒
  もともとジャイアンツ・ファンの私だから、ワールド・シリーズや日本シリーズをそんなに熱中して見ている訳ではない。
 でも、今年の日本シリーズは確かに面白い。また、アメリカで行われているワールド・シリーズは今年初めて見ているようなものだが、これもまた熱戦で面白い。

 下馬評なるものを総合して、また手前勝手な感想を交えて予想すると、日本シリーズは打撃と投手力で勝る福岡ダイエー、ワールドシリーズは、これも戦力的に勝るヤンキースが優勝するものと思っていた。

 ところが昨日、今日の展開をみていると、どうもそういう予想はあんまり当てにならないほど混戦であり、実力伯仲であり、熱戦である。特に日本シリーズのほうは近年に無いほど名勝負が続いていると思っている、もっとも第2戦の大差のあった試合はいただけないが。。

 しかし、日米のどのシリーズでも、そんなに強烈なファンではないのでかなり冷静に見ているが、混戦になるほど地力の勝るチームが勝ちを収めるような気がする。
 プロの世界の実力というのは紙一重である。力に大きな差は無い。だから一回限りの試合ではどちらが勝つか分らないものの、何回も試合を重ねるときは、どうしても地力の勝るほうが勝利する。稀には、反対のことが起こるので、「短期決戦のシリーズでは勢いのついた方が勝ち。」と言われる。しかし、それは稀のことであり、奇襲の成功するときのことだと思う。
 その好例が大相撲である。好力士が複数いて、千秋楽まで優勝の決まらないときがある。こうしたときには本割り後に更に優勝決定戦を行うときがあるが、この場合は概ね上位力士が勝ちを収めることが多い。
 これは、大相撲の場合は稽古量の豊富な力士が「地力」に勝っているからである。稽古量の少ない力士が勝ちを収めるのは、肩透かしなどの奇襲が成功した場合であるが、そもそも優勝決定戦にこういう奇襲をかける力士がいない。

 さて、では、今日の、この混戦となった段階で日米のシリーズでどのチームが優勝するかとなると、私の予想はやはり、ワールドシリーズの場合はヤンキース、日本の場合は阪神タイガースとなる。
 根拠は、ヤンキースはリーグ一位の戦績でプレーオフに進出し、リーグ優勝したチームであり、それだけ地力があったことになるからである。これに対し、マーリンズはワイルド・カードから這い上がったチームだから、勢いはあることは間違いないものの、やはりチーム力が全体に弱いものと推測する。
 日本のプロ野球の場合は、福岡ダイエーと阪神タイガースとでは、安定した戦いをしてきたのは阪神タイガースであるから、やはり地力はタイガースの方が上、と見るのが私一流の見方である。

 ま、しかし、予想と違っても私は頭は丸めるようなことはしない。何故なら、冒頭に述べたようにそんなに熱心でないのだから、、、。
 

「時」の絶対性(上)

 投稿者:能彦  投稿日:2003年10月20日(月)13時11分10秒
  最近、妙な時間表示を二つ見た。
 一つは西伊豆の松崎町を訪れたときである。この街を流れる川の近くに、
「中瀬邸」という明治時代の商家があるが、その商家の前にある時計塔の文
字盤には「13」時の表示がある。
 この時計塔は、昭和天皇のご成婚を記念して町の青年団が建設したものだ
というから、決して不真面目なものではない。近くにある説明版では、「あ
りえない時刻に松崎の風景が前を流れる川面に映し出されるというものです
。」と書いてある。
 どうもこの説明では文字盤の表示の意図が今ひとつわからないが、松崎と
いう町は海岸線に面した細長い町で、この細長い町の真ん中を確かに少々川
幅の大きい川が流れている。そうすると、時の流れがあっても無くとも、そ
の町の出来事は皆、悠久不断に川面に映し出され、これは皇室の続く限り続
いていくという、そういう願いのようなものを示唆しようとしたものであろ
うか?

 もう一つであるが、なんとなくこのことが理解できないまま東京に帰って
きた翌日、たまたま乗った東急バスの車内に、今度は「渋谷発・(川崎の)溝
ノ口行ミッド・アロー号」の「出発時間が25時」であるという表示をみた。
 これはいわゆる都心から郊外への深夜バスの時間表であるが、「午前1時」
という表記を止めて「25時」としたものであろう。
 午前1時に帰宅したのでは出勤した「翌日」に帰宅することになるからス
トレスも溜まるだろうが、25時に帰宅したのなら「今日中」の帰宅だから
「翌日」また頑張ってもらえると言う思いやりであろうか?
 考えてみれば、都心や副都心では時差出勤が多くなったから、朝は午前10
時まで出勤、退社は午後7時だが、残業で普通は午後10時が退社時間という
ところもある。こういうところに配慮したものかもしれない。

      (注)この文章は本日午前0時頃にアップした文章と同一ですが
        以下の(下)の文章は、末尾分に補筆しています。
 

「時」の絶対性(下)

 投稿者:能彦  投稿日:2003年10月20日(月)13時08分18秒
   しかし、この二つには「時に関する表現」という以外に何か共通する哀歓を
感じる。 それは、結局は時代を問わず、時間の足りない人たちが結構いるの
だなあ、という我が身に照らしてみた哀歓といってよい。

 松崎町で文字盤に「13」の数字を書き入れた人は、こういう哀歓を「時」
という哲学の命題を理解しないものと蔑むかもしれない。実際のところ私はこ
の哲学を理解できないからそうなっても仕方が無い。
 けれども、文字盤に「13」の数字を書き入れた人たちは、少なくとも「あ
り得ない時刻」のことを「12時の次の時刻」と考えたのだから、「あり得な
い時刻」があって欲しいと願って「13」を掲げたことには間違いがないであ
ろう。
 私が思うのは、「あり得ない時刻」を願ったり期待したりすることが哀しさ
だ、ということである。

 そしてまたこれと同じように、現代に生き、かつまた多忙に明け暮れる人た
ちは、「25時」という表現に言い知れぬ救いを覚えるのではないか。
 いや、それだけでは足りず、更に又、午前1時を前日の延長である25時と
言い換えて満足することに哀しさも感じると思うのである。
 何故なら、「時」は今のところ現代科学では絶対の存在であり、「午前1時
の時」は、それをどのように言い換えようとも「その時」であることには変わ
りなく、誰もまだ「その時」の束縛から逃れられないからである。
 この「時」から逃れられないことは、「あり得ない時刻」に期待することと
同じように哀しいことだと思うのである。

 実は、私も、いつも時間が足りないと思っている一人である。何かを発想し、
計画し、そして実行したいと思うが、残念ながら時間が伴わない。人は沢山の
物事を一度にはできない。かといって、人の時間を借りるわけにも行かないし、
その時間を買う資力も無い。
 別に焦っているつもりないが、自分に残されている時間はそんなには無いと
思うし、ある筈も無い。
 一方では、もう一度現役を退いた身なのだから、これからはあくせくするこ
となく、じっくりと、できることだけ地道にやったらどうか、という誘いの声
もある。しかし、残念ながら私にはその誘惑に従うことはできない。

 生きている限り、自ら成そうとして見出したことは力を尽くして成し遂げた
いと思う。これが私の信条である。そのために懸命に生きたいと思うばかりで
ある。
 そうすると、やはりこの命、たかだか100歳。気力、体力を考えると、や
はり時間は足りないから、これからは一日を48時間にしたいが、、、、けれ
ども時間をどのように言い換えようとも、「その時」であることには変わりは
ない。

 悩みは深くなるばかりである。嗚呼!
 

中坊公平氏の弁護士廃業に思う(上)

 投稿者:能彦  投稿日:2003年10月10日(金)23時41分45秒
   今日は衆院が解散し、マニフェストと政権選択が争点となる選挙戦がスタートした日である。そういう意味では日本にとって政治的に重要な一日である。
 しかし、私はそれよりも中坊公平氏が弁護士を廃業した、というニュースに大きな感慨を覚えた。
 この感慨は、不正追求の権化であり、「平成の鬼平」と言われた中坊公平氏の法曹界からの引退を悲しむものではない。
 私はこのニュースを聞いて、妄りに不当な法律的手段を弄して自らの仕事を成し遂げようとする異常なプロフェッショナル意識は、やはり世の中の普遍的な常識には太刀打ちできないのだと思った。

 一般の犯罪人に対してではなく、常に「弱者の立場」に立ってきたと言われる中坊公平氏に対して私がこのような感想を抱くことは、おそらく多くの世の人の感慨とは異なると思う。
 私は、中坊公平氏が、私利私欲のためではなく、弱者の立場、市民派の弁護士として活躍したことは承知している。そしてその視点にだけは敬服してきた。
 しかし、如何に「弱者の味方」であるとはいえ、手段を選ばずに他人の権利や仕事を妨害してまで目的を遂げようとする中坊公平氏の仕事振りには、私は到底賛同できなかった。だから、常に氏の仕事には批判の目を向けていた。

 一例をあげる。
 私は以前、中坊公平氏の指揮する住宅金融債権管理機構(現在の「整理回収機構」)から、私が実質的に決定した仕事について訴えられたことがある(訴えられた名義人は私ではない公的存在である。)。
 私の仕事場と住宅金融債権管理機構とは人事交流もするなど友好な関係にあったが、それでもその仕事の差し止めを求められたのである。しかも、その理由たるや殆ど悪罵に近い言葉で構成され、適正に仕事を続けてきたと確信している身には全く納得がいかないものであった。
 そこで、私は住宅金融債権管理機構に出向いて抗議するとともに、上司の許可と抗議先である住宅金融債権管理機構の幹部の同情も得て、法廷の場では徹底的に争うことにした。
 ところが審理が始まって幾らも経たないときに、突然、住宅金融債権管理機構は自らが起こした訴訟を取り下げたのである。
 人づてにその事情を調べたところ(何しろ、人事交流しているのである。情報源には事欠かない。)、住宅金融債権管理機構は中坊公平氏の直接の指示の下、その訴訟に関係する第三者と交渉するための時間稼ぎとして訴訟を提起したに過ぎなかった。
 そして、住宅金融債権管理機構とその第三者は話がついたので、結果、その訴訟は取り下げられたのである。
 聞くところによると、その訴訟取下げに関する住宅金融債権管理機構のコメント案には「関係者には迷惑を掛けた。」という一文があったが、この一文は中坊公平氏の「別に謝ることはない。」という指示により無くなったということである。 
 結局私の仕事は、そのために無駄な時間を費やすことになってしまっていたのである
 

以上は、新着順41番目から60番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  |  《前のページ |  次のページ》 
/6