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「1000ヒット」のホームページ

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 8月 8日(日)22時36分46秒
  今日は目出度いことがあった。
あるホームページを訪問して、そのホームページに書かれていた「出生の秘密」というページを
読んだことが発端だった。

そのホームページのURLは下に記したとおりだが、ここの管理者norioさんは、小さいときに
小児麻痺に、、、いや正しい病名はちょっと忘れたし、今はオンラインで書いているので後で確
かめるが、、、、いずれにせよ重度の障害を受けた方だった。

ところが、この「出生の秘密」を読むと、まるで暗さを感じさせないのである。勿論、内容を
考えれば大変な苦労をされたのだろうと推測するのであるが、それを悲惨さとか暗さとかを感じ
させないのは、ご両親、特に母親の力強さの所為なのではないかと思う。
ご本人も、そういう重度の障害を持ちながらも、行く先々で別の有望な会社から請われて招聘さ
れ、そして短い間に沢山の社員の管理者になっていくのである。

流石に、年齢を重ねてからは幼少のときの障害が負担になってきて、現在は退職しておられるよ
うだが、その方のホームページなのである。
ホームページを知ったのは、私も加入しているシニア・リーグに加入されたようで、そのご挨拶
メールがあったから訪問したのであった。

私は、そのページに感動して、一度、そのページの掲示板に書き込んで、また、数時間して今日
二度目の訪問をし、そしてまた掲示板を訪れたら、たまたま1000回のヒットで、「記念品」
をもらえる、ということで、その方からお祝いのメッセージをいただいた。

メールを拝見すると、「今年6月6日公開して実に64日目に到達しました。」というから64日
で1000ヒットである。一日約16件のヒットいうのは決して派手ではないかもしれないが、
しかし、心温まるホームページである。

1000回ヒット記念品を貰えるという、最近にない喜びを感じたこともあって、是非、他の方
にもお勧めしたいと思う。

http://www.h2.dion.ne.jp/~norio53

 

余計な「耳打ち」(上)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 8月 2日(月)00時53分46秒
   北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの家族四人が、先月18日に無事入国できたことでは日本の国民のほとんどの人が喜んでいると思う。
 私は、わがことのように喜んでしまって、この日は遅くまで起きていたから、それが祟って夏風邪をひいてしまった。もっとも二週間も経ってようやく快方に向ってきた。

 しかし曽我さんの夫、ジェンキンズさんの処遇がどうなるかという問題は依然不透明である。日本とアメリカの関係からして、アメリカがジェンキンズさんを無理やり身柄引き渡しを求めてくるとは誰も思っていない。けれども、お互いが法律を尊重する民主主義国家であれば、法的に筋道を踏んだ解決が望ましいことは言うまでもない。

 そこへゆくと、私などは非常時には状況に応じた解決を求める方だから、何か便利な法律的手段があれば、多少強引でもそれに則って解決してくれればいいと思っている。
 そういう意味では、アメリカと日本とでは脱走兵に関する法的制裁規定が全く異なるのだから、ジェンキンズさんの場合はアメリカは日本に身柄引き渡しを求める法的根拠がない、という考えが一番真っ当なのではないかと思っているくらいである。
 こういう考え方は、ジェンキンズさんが脱走した当時に在日米軍に属していたのではなく、在韓米軍に属していたということも立派な理論的根拠になっていたようだ。しかし、アメリカは、最近になってジェンキンズさんを在日米軍に配置換えしたということだから、どうやらこれは根拠になりそうにない。(もっとも、本人が日本に入国後に配置換えしたのなら、そんなことは争うつもりになれば、幾らでも説得性のある議論として持ち出すことができる。)

 しかし、今の状況はそういうことではない。
 誰もジェンキンズさんの身柄をアメリカに引き渡そうとしているのではなく、アメリカの法的立場、軍隊を世界に展開しているアメリカという国の立場を一応尊重してあげた上で、言い換えれば、アメリカ軍のメンツを保った上でジェンキンズさんを自由にしてあげたいと考えている状況である。
 これはアメリカにしても同じで、国務省や国防省の幹部は「やはり脱走兵としての責任は免れない。」と言っているものの、その実、ジェンキンズさんや曽我さんに同情的な日本の世論に抗してまで彼の身柄を拘束しようとしているのではない。
 だから、ここでは、アメリカの法的主張に対して、あらゆる面から反駁してジェンキンズさんを守るということは必要ではない。
 それだから、最近においては、司法取引ということが現実味を帯びてきているのである。

 

余計な「耳打ち」(下)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 8月 2日(月)00時40分35秒
   ところが、土曜日だったか、金曜日だったか忘れてしまったが、朝日新聞の夕刊に、作家・吉岡忍氏が、ジェンキンズさんに対して「耳打ち」したいという小文を載せていた。
 内容は、要するにジェンキンズさんはベトナム戦線への派遣を嫌って脱走した。という前提の下に、ジェンキンズさんはアメリカ当局に対して、ベトナム派兵忌避は正当な政治的行動であったと主張すればよい、そうすればアメリカも認めざるを得ないのだという論理を展開し、これを「耳打ちする。」と言っている。
 理由として、ベトナム戦争が間違いであったことはアメリカ国防長官経験者も認めていること、当時吉岡氏らが手伝ってスウェーデンに政治亡命させた多数の兵士らが、その後アメリカにおいて自由を獲得したことなどをあげている。

 しかし、こういう耳打ちは、一体なんの役に立つだろうか?
 確かに個人の昔の行動を正当化する方法は色々あるに違いない。だからこそ、私なども前述のようにアメリカと日本の法制度の違いを理由にして、ジェンキンズさんの身柄引き渡しを拒む方法を考えてみた。
 けれども、双方が正当性を主張しあうならば、一時的には権力や武力を持つ方が優位に立つことは決まりきっている。そのことがジェンキンズさんや曽我さんとその家族にとって何を意味するかは分かりきっている。北朝鮮と日本とに分断されていた家族が、また再度の分断の悲劇を味わうことになるだけである。
 それでは今までの曽我さんの忍耐や日本政府の努力が報われないだけである。

 世の中は、筋を通すことは大事である。それなくして世の中の大枠は保てない。しかし、大枠を保てるならば、そこには柔軟性の発揮が許されても良い。アメリカの司法取引はその意味では便利な方法である。
 この方法が、日本ですべて有用と言えるかどうかは分からないが、少なくとも吉岡氏のように「自分の脱走は正しいことで、アメリカ政府や軍の方が間違っている。」という主張では、アメリカとしても通常の訴追手続きを遂行してゆかざるを得ないことであろう。
今はそうしたときではなく、ただ、平穏な解決を願うのが良いと思う。
 

笑顔の場(上)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 7月26日(月)23時53分9秒
   もう、40年も前のことだが、最近起こった事件から思い出した苦い経験がある。
 あるとき、重病で入院している親戚の人を見舞った。その人はおそらく末期の大腸がんだったと思うが定かには覚えていない。もう集中治療室に入れられていて、近くまでは寄ることができなかったが、苦痛に歪んで周りの人も目に入らない様子は哀れの一言だけだった。
 だから、見舞いといっても声一つ掛けてやることができないまま、その親戚の人たちが控えている部屋に顔を出した。中には暫くぶりで会う懐かしい人もいたので、少し顔が綻んだが、数人が病人の病状について話し込んでいるので近くに座って話を聞いていた。
 その一人が「医者は、もう少し経っておならが出るようだったら心配ないのだが、それまでは安心できないと、、、」と、言いかけて、そしてふと私の顔をみて「笑っているけど、これは生き死にの問題だからね。。。」と厳しい顔をした。
 私は笑ってなどいなかったので「なんのことか?」と思ったが、彼の厳しい顔をみて私の表情が緩んでいたのだと気がついた。
 彼の話のどこに笑う要素があったかというと、それは「おなら」しかない。しかし、手術後の病人のおならなら、それは大事なことだし、私にしてもそのことは理解して聞いていたつもりだ。
 それでも厳しい指摘を受けたのは、私の顔が、知った人に会ったり、知らない人でもちょっと会話をすると、どうも、すぐに表情が緩む癖があるらしいからである。
 いや、何か表情の緩むことがあると、その状態を引きずって次の場面に移る傾向があったようである。人は、こういう傾向を誤解して、「柔和な表情」というのかもしれないが、自分自身では全く意識していないことなのである。

 

笑顔の場(中)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 7月26日(月)23時51分55秒
   このことがあってから、私は時には注意して表情を意図的に切り替えるようになったが、結論的には改まらなかったようだ。
 後年、中央官庁のあるセクションに勤めていたときに、野党の党首クラスの国会議員から事務説明を求められたことがある。説明するのは幹部職員だが、私も随行して議員会館に赴いた。議員は説明内容が自分の思うところとは異なったもののようで終始機嫌が悪かった。遂に随行の私の方を向いて、「これは笑う話ではない!」と怒鳴りつけられた。
 私は勿論緊張して話を聞いていたのだが、相手が大物議員ということが意識にあって、相手が話をするときは、つい、諂うような表情になっていたのではないかと思う。その場はそれ以上の事態の悪化を招くことはなかったが、私の心には、またあの病気見舞いのときの思い出がよみがえった。

 いずれの場合にも、私は笑ってよい場面だという意識は一片もなかった。それでも大事な場面で表情が緩んでいると指摘されれば、これは生理的な欠陥だろうと思うしかない。以来、葬儀とか会議とか難しい局面にあっては、状況への適切な適応に極度に配意するようになっている。
 

笑顔の場(下)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 7月26日(月)23時50分28秒
   ところで、冒頭に「最近起こった事件から思い出した苦い経験」と書いた。この「最近起こった事件」というのは、実はテロリストの要求に屈してイラクから派遣軍を撤退させたフィリピンの対応のことである。
 フィリピンのアロヨ大統領は、苦渋の決断として比国軍の撤退を決めたという。これについてのアメリカ政府の反発は大きく、かつまた世論の批判も大きい。しかし「世論の批判」は大きくても、大多数の比国民はアロヨ大統領の決断を支持しているし、新聞論調も分かれている。したがってアロヨ大統領としては間違った決断をしていないと考えていることであろうし、現に、「これからもテロ撲滅のためにアメリカと共同して戦う。」と態度表明している。
 私は、このアロヨ大統領の決断を間違った決断と考え、これによって今後も人質事件は増加することになると考えている。
 しかし、それにも増して唖然としたのが、7月20日のテレビでみたアロヨ大統領の無邪気とも言ってよいほどの「素晴らしい笑顔」である。
 この笑顔は、解放された人質と電話で話しているアロヨ大統領が、人質がどこにも怪我をしていないと知らされて喜んだときの表情であるが、残念ながら私はこの笑顔に嫌悪感を覚えた。
 いつもならば、アキノ大統領の系譜をひくアロヨ大統領には親近感をもっていたし、今年の選挙でも彼女の勝利を願っていた。それは比国の実態を知らないためでもあるが、新聞報道を自分なりに判断して、アロヨ大統領こそ比国の政治的良心だと考えていたからである。
 けれども、どうやらこの判断は間違っていたのかもしれない。
 なぜなら、アロヨ大統領の笑いは、「苦渋の決断」をしたにしては余りにも無邪気な笑い顔ではないか?何故苦渋の決断だったかといえば、60人に満たない比国軍がイラクから撤退するという事実が多国籍軍ばかりでなく、イラクや周辺国に在住する外国人に現実的に人質誘拐の危険に晒すことになるからである。現に、23日はエジプト外交官が拉致されるという事件が発生している。

 自国や世界の情勢に敏感でなくてはならない政治家が、このような事件において、あのようにこぼれるような笑顔を見せてよいのか?笑顔は誰でも素晴らしい。しかし、笑顔を見せてよいときと笑顔を見せてはいけないときとがあることは、表情の緩みをもって咎める人がいることから明らかではなかろうか?
 特にアロヨ大統領は、私のようにこれから高齢社会を楽しもうと思っている市井の民とは違うのである。


 
 

老後への考え

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 6月27日(日)20時58分38秒
   懇親会といえば、21日の会合では尊敬する大先輩から感服するお話を伺った。
 この方はまだまだ80歳前。いつも無駄の無い話の中に人生の余裕を感じさせる語り口で、その語り口は、私の仕事上いつも参照させていただいている著作の文章の書き方とも似ている。第一、私の文章のように長い形容詞節のある文章など見たこともないし、同じような話も無い。簡明直截、分かりやすい。

 その大先輩は言う。
「この年になると、いつ、何が起こっても不思議は無いという心境である。だから、自分がいなくなった後の備えをしている。自分の著作や文章の整理など家族はできないから、自分で整理した。残して家族が困るものは処分した。自分の蔵書も家族には無縁だから貰ってくれる人を探しておいた。誰も貰ってはくれそうにない蔵書は回収業者に来てもらった。ああいう回収業者は意外に便利なものであることが分かった。棺に入るときに一緒に入れてもらうものも指示しておいた。」
 こういうことを淡々として話してくれた。

 そして、その話し振りは堂々としており、微塵も未練がましいところがない。
 80歳前といえば、確かに平均余命は過ぎているが決して長命とはいえない。取り立てて病を患ったという話も聞かないから、これからも十分に社会的活動ができる筈なのだが、誠に恬淡としている。
 こういう大先輩に対してはその覚悟に感動するしかない。やっと「先生、それだけご準備しておられれば、きっともっともっと長生きしますよね。」と言うことができただけであった。



 

苦しき時の誕生日に

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 6月26日(土)23時21分29秒
   今日は62歳の誕生日を迎えた。
 幸いにして事務所は土日は原則休みとしている。また、昨夜は気心の知れた先輩諸氏との会合があって若干酩酊して帰宅していた。
 そこで今朝は、リビング・ルームの方角からドアの隙間を伝って流れてくるコーヒーの香りに気がつくまで、快く眠っていた。
 眼が覚めてから、この快さに疑問を持った。
 今は、私の苦しい時である。「私の」ではおかしい。「私の事務所の経営」とでも言うべきであろうか。当初はこの夏に苦境は乗り越え、秋からは元のように順調に進むと予想していたが、いろいろな事情で冬までこの状況は続くかもしれない。だから、そもそも「快い眠り」など無いはずであった。

 一体、この快さは何故だろうか、と考えたが、答えは簡単ではない。今週もいつものようにいろいろなことが起こった。また新たに難しい問題を抱えたり、かと思うと懸案が解決したり、期限のあった仕事が先方の都合で期限が延びたりなど、めまぐるしい日々の連続である。
 夜、一日の最後にメールを整理して眠りにつく前、どうしてこんなに時間の経つのが早いのかと嘆くことばかりである。
 
 しかし、よく考えてみると、今週は確かに一つの、、ではなく、一定の前進があった。
 一つは、全く外的な要因によるが「時間貯金」ができたことだ。
 これは、私がボランティアとして活動を続ける決意をしていた団体の役職を辞任することになったためである。団体の活動そのものは尊いものだが、残念ながらそこの一部の役員との間で揉め事が生じ、それが切っ掛けで、私がその団体の一部の会員から疎まれていることが分かった。そういう状態の中でボランティア活動を続ける必要は無い。
 自分の時間さえろくに無い状況の中で、それでも人の役に立とうとして懸命に活動しているつもりなのに、逆に人に疎まれるのではボランティアもなにもない。その団体を自分の考える方向に持っていくのが自分の使命であると考えるならいざ知らず、そこまでの気持ちが無いのならそういう活動からは身を引いたほうがいい。
 ましてや、今度のことは私の就いている役職についての嫉みだと感じたから迷うことは無かった。私は、即刻決断し、翌日会長に辞任届を提出した。そして、そのお陰でかなりの「時間貯金」ができた、というわけである。

 二つは、コミュニケーションを良く図ることができた会があったことだ。
 因みに、昨日行われた一つの会の会議と別の会の懇親会の成果が極めて良かった。
前者では、私の考えるところが概ね容れられた。後者でも、私が一番の若輩なのに、よく私の話に耳を傾けていただいた。どちらの会でも、賛否はともあれ、忌憚ない意見に注意深く耳を傾けていただくということはありがたいことだ。こうなると私も我を通すわけにはゆかないから、こちらからも謙虚に提案に耳を傾けたり、また積極的な譲歩・妥協をしようという気持ちになる。

 「快い眠り」の原因はほかにもまだある。しかし、これを上回る不安も抱えている。けれども、ここに「誕生日」という特別の要素が加わったらしい。例えば、眠りながらも今日の予定を考えていた。

 今日も事務所に出かけるか?
 答えはノー!
 早く仕上げなければならないことは山ほどある。しかし、今日は誕生日だ。ともかく明日にしよう!

 今日は家族とドライブに出かけるか?
 答えはノー!
 ドライブに出かけるのはストレス発散になる。しかし、今晩は家族が誕生日を祝って食事に誘ってくれている。時間に遅れたら予約がパーになる。もっと眠っていよう!

 大体、こんな調子の自問自答の思案が続き、また眠ってしまった。

 さて、目覚めて朝の食卓に着くと、家族からの祝いの言葉と、午後からの行動予定(?)の発表があった。私は結局、午前中はテレビ映画を見て過ごし、午後は家族の買い物のためデパートまで車の運転、、、ま、私へのプレゼントだから不平はなかったが。。。
 夜は、予定の食事会。。。。
 この分では明日もまた、ゆっくりと眠ることになるのか???
 ま、これも苦しい時の中の束の間のこと。

 昨日の会議で、ある仕事の候補の一人に指名された。他は40代の女性。私は
「私は明日から62歳。こういう仕事は、将来性のある彼女に譲ります。」
しかし、彼女は負けてはいない。
「あら、小林さんはいつも『青春とは心の持ち様だ』と言ってますからお若いはずでは無かったですか?」

 私は「グー!!」
 私の完敗である。
 

パソコンの背後(上)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 6月 4日(金)23時25分40秒
  佐世保の女子小学生による殺傷事件には驚かされた。特にその原因がホームページ上の書き込みにあると知ってもっと驚いたが、その書き込み内容の乱暴さや愚劣さには悲しさを感じた。
 やくざや暴力団構成員の捨て台詞かとほどの乱暴な言葉使いが延々と続く。これが可愛い顔をした女子小学生の発言とはどうしても思えない。

 同じような経験を数ヶ月前にもした。
 あるペット愛好家のホームページであるが、そこに書き連ねられていたのは、あたかもペット自身が語っているかのように装われた発言である。その語り口は、まだ十分に口を開けない(人間の)幼児がいかにもたどたどしく語りかけているように作られているが、実はその内容は他のホームページでの他人の発言や行動を言葉汚く攻撃するものであった。そうしてその中に他の人間の暴露的な発言が紛れていて、その暴露的な発言が真実だとすれば、幼児言葉で話しているそのホームページの主宰者は社会的には法曹と言われる弁護士なのであった。

 似たようなおどろおどろした発言を連ねたホームページは他にもあり、こうした例を省みると、インターネットをはじめとするデジタルな世界では、実生活にみられる姿とははるかに異なるキャラクターが生まれ、跋扈し、そして私に言わせれば健全な文化を貶めている。
 そう思うとデジタル・ワールドのコミュニケーションはかなり危ういものがある。

 時代はインターネットの世であるが、私はパソコン通信華やかなりし時にデジタルな世界に足を踏み入れたものであり、しかも高齢者フォーラムの運営管理に携わった経験がある。そうした経験の中でもかなり怖い思いをしたことが幾度となくあった。
 例えば、ある人はオフを通じて私の勤務先を知って以降、それまでの友好的な反応を捨てて親の敵にでもあったようにフォーラム上で私を攻撃し始めた。
 またある人は、自らのコンピュータ観が私のフォーラム運営理念と反するとして名指しで執拗な攻撃をした。
 私にとっては、これは大きなストレスであり、特に前者は、私の職場にまで影響を与えた。デジタルの世界に足を踏み入れたことを後悔したことはなかったが、職場の人事管理部門の中で確実に私自身に不利なことが起こっていることを感じないわけにはいかなかった。

 

パソコンの背後(下)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 6月 4日(金)23時24分23秒
   しかし、こうしたことは、普通の人にはかなり分かりにくいことかも知れない。
 何故なら、たとえどんな暴言、威嚇的発言であっても、それはデジタルの世界のことであるから生身の人間には何の影響も与えない筈だと感じる人もおられよう。
 現に、シニアネットの創始者と言われる人でもそういう発言をした人がある。
 あるとき、アメリカのシニアネットの創始者と言われる女性が来日し、私も高齢者フォーラム運営管理者として懇談会に出席したことがある。
 私は、その当時名指しで執拗な攻撃を受けていたので、円満な収束方法を捜し求めていた。そこで、彼女に、
「アメリカではこういうときにどうやって対応するのか?」
と尋ねてみた。すると彼女の返事は
「シャラップ!(黙れ!)と言ってやればよい。何故なら、パソコン通信はデジタル回線を使うものだから相手から殴られることはない。」
というものだった。
 居合わせた人たちは爆笑し、それで幕となったが、私は内心では、これは不真面目な答えであると感じ、激しく怒っていた。

 今、こうして佐世保の女子小学生の事件が起こってみると、ネットでの争いは決してデジタル回線の中に留まるものではないことが分かると思う。特にこの小学生の事件に見られるように、近しい人、色々な個人情報が手に入る親しい人ほど危ういものだと思う。
 私があげた二つの例の内の一つにしても、ネットでは知りえない個人情報をオフの場で得てからの変化なのである。

 今回の事件を契機に、子供達にネチケット、即ちインターネットを利用する際のマナーをきちんと教えようという動きがある。その具体的な計画・内容がどういうものなのかは分からないが、それはそれで結構なことである。
 しかし、事柄の本質はネットに由来するものではない。あくまでもネットを利用する者の人間性にかかるものだと思う。

 ネットでの会話は概ね匿名性を保持して行われる。佐世保の小学生もおそらくそうだったのであろう。弁護士さんの「ペット弁」もネットには匿名性の保持という特異な性質があるからお遊びができるのであろう。しかし、佐世保の小学生は被害者と加害者が以前は仲の良い友達だったから二人の間では匿名性の保持はなかった。弁護士さんも、暴露的な発言が真実であったなら、いつまで「ペット弁」を続けられるであろうか?
 このことから言えるのは、ネットでの匿名性の保持は、結局相対的なものであって、匿名性があるから好きなこと、乱暴なこと、愚劣なことを言えるといっても限界があるのだと考える。
 因みに、私自身は「能彦」を名乗っているが、ホームページを精読していただければ私の本名は公開されているものであることがわかるし、これはパソコン通信においても同様である。
 したがって私は、ネットは匿名性が確保されるから便利であるという考えには与しない。

 私はパソコン通信時代から今日まで、一貫してインターネット等のデジタルの世界はコミュニケーション・ツールにしか過ぎないと思っている。確かにインターネットもパソコン通信も交流の輪を大きく広く広げることはできるが、ここに集う人たちが相互に信頼関係に立てるかどうかは別の問題である。そういう人もいるし、無理な人もいる。実際に顔と顔を合わせてみてイメージどおりであったという人もいるし、全く失望を感じる人もいる。
 それは、デジタル・コミュニケーションが文字の世界のことであるからということでもない。テレビ電話が今後数段の進歩をしたところで、相互に人間性を信頼できるかどうかはまた別の次元のこととなる。

 そこで、佐世保の事件の再発防止に関して、これまでデジタル・コミュニケーションの世界にあったものとして言えることは、パソコンを操作するのはいつでも人間であり、デジタル・コミュニケーションを行うものも結局はこのパソコンの陰にいる普通の人間である、ということを再確認して欲しい、ということであろうか。

 

携帯電話考

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月24日(月)23時30分12秒
   携帯電話はいつから普及しはじめたのだろうか?私自身が使うようになったのは平成8年頃からだったと思うが、その私でも現在の機種は3代目。ひょっとすると来年は次世代携帯電話に切り替えているかもしれない。
 平成9年頃かと思うが、その頃はケイタイ族という言葉があった。携帯電話なんか嫌いだ、という上司が、私が携帯電話を持っているのを見つけて、
「なんだ、お前もケイタイ族か!」と苦々しげに呟いたのを思い出す。

 そういえば、ワープロが定着化した平成4年頃頃は、ある研究部門に勤務していて、必要があってある高名な大学教授にお会いしたことがあった。用件が済んで四方山話に移り、話がワープロに及んだとき、高名教授殿は「ワープロなんて我々のように考えながら文章を書く仕事の者には合わない。やはり、ペンで書かないと、よい論文は書けない。」と言っていた。

 概して、新しい技術には抵抗感が強いものだ。そういう傾向は昔ながらの職人気質で進んできた人には特に多いのかもしれない。

 しかし、新技術の進歩は著しく、また普及も高速度である。もう、そんなことは言っていられない。
 久しぶりに朝のラッシュアワーに電車に乗ったが、ほとんどの人が携帯電話を広げて画面に見入っている。かといって誰かと通話しているわけではない。メールをみたり、情報番組を新聞代わりに見ているのである。
 ドアの上には、「この車両では携帯電話の電源をお切りください。」というアナウンスが掲げられているが、もう見る人もいない。

 そういえば、私の携帯電話もマナーモードの振動が始まった。1時間ごとの情報更新を告げる音である。
 もはや、電話は本来の意味での情報端末と化している。


 

突飛な考え

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月23日(日)20時30分21秒
   いつも真面目くさった、それでいてあんまり面白くもないかもしれない一般論ばかり書いているが、たまには突飛な考えを書いてみよう。
 それはどうしてこの時期に首相再訪朝が行われたか、ということの推測である。

 昨日、小泉首相の再訪朝の際に、曽我ひとみさんの夫であるジェンキンズ氏が来日を拒否したことについて、私は「今日のZAKKAN」にこう書いた。

>私は個人的には、ジェンキンズ氏が、小泉首相という一国の代表が一人の個人に説得を
>試みていることの重大性から考えて、その首相の言葉を信じて、勇気を出して出国を決
>意すれば別な展開もあったと思う。

 では、実際にジェンキンズ氏が小泉首相の説得を受け入れ、昨日来日していたら彼の処遇はどうなっていただろうか?
 無論、その段階では不法入国で逮捕されるなんてことはあり得ない。なにしろ、小泉首相が平壌で得意満面の顔をして「8人全員と一緒に帰国します!」と大見得を切って記者会見をしているのだし、彼が8人を引き連れて羽田空港まで来たのだから、そんなところに不法入国とか入国審査とかの無粋なものが入り込めるわけがない。

 問題はその後にアメリカから、統一軍事裁判法と刑事犯罪人引渡条約をたてにしてジェンキンズ氏の引渡があるかどうかである。
 現段階では、アメリカ国防総省は彼を脱走兵として訴追することになると伝えられているが、最終判断はブッシュ大統領の判断だともいう。

 そうなると、日本は外交交渉を通じるか、首相自らの力でブッシュ大統領に恩赦の約束をしてもらわないとならない。
 恩赦がない場合には、米国としては刑事犯罪人引渡条約に従って引渡を要求しても良いはずだが、現実問題としては早急な引渡要求はないと考える。それは、アメリカが日米関係の重要性、とりわけ日本が憲法違反の疑いがあるのを振り切ってまでイラクに派兵している状況を壊したくないと考えているはずだからである。

 しかし、早急な引渡要求はしないが、どこかの時点では形式的に(熱意のない)引渡要求をすることがある。こうなると手続き的には東京高検がジェンキンズ氏を拘束して裁判所に判断を求めることになる。
 これを阻止するには、東京高裁の裁判官に棄却の裁判をしてもらうしかないが、東京高裁に入る裁判官は優秀な法律家ばかりであるから、あまり政治的な判断を期待することはできないし、彼らに圧力を掛けることなど思いもよらない。
 法律的に可能なのは、首相が検事総長に対して指揮権を発動することだけである。小泉首相はジェンキンズ氏に対して、「家族4人が日本で安心して住めるように最大限のことをする。」として説得を行ったのであるから、ひょっとしたらそこまで考えたかもしれない。
 しかし、この方法は最後の手段であり、この後は内閣をつぶすことになるから首相としては最悪の選択となる。しかも、この時期に小泉首相がまだその座にいるかどうかも分からない。

 このように考えてくると、解決策はアメリカに引渡要求をさせないことしかない。
 そうすると、小泉首相が考えたことは次のことしかないのではなかったか。
 「ジェンキンズ氏が日本に来さえすれば、自分がブッシュに掛け合って恩赦にしてみせる。しかし、現実にジェンキンズ氏が北朝鮮に居る限りはブッシュに掛け合うことは無理だ。イラク戦争の最中にブッシュから仮定の問題について肯定的な答えが貰えるわけがない。けれども、近く開催されるサミット前にジェンキンズ氏を日本に連れてくることができれば、日本の世論を背景に、世界の首脳の前でブッシュ大統領に恩赦を求めることができる。そういう舞台で北朝鮮の独裁者金正日を打ち負かした英雄・小泉の行為を讃えないわけにはゆかない。したがって、ブッシュ大統領は恩赦をOKする。」

 かなり突飛だが、これが一部の政治家が予測した「6月にサミット、その後に首相訪朝、7月に参議院選挙」というスケジュールを変えた理由ではなかったろうか?
 私は小泉首相の覚悟は並大抵のものではなかったと思うし、ましてや年金の未納隠しなどという小さい問題ではないはずだと思うのである。

 

与野党反応への感想

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月23日(日)00時30分0秒
   小泉首相再訪朝についての与野党の評価は興味深い。
 自民党安倍幹事長は、勿論いわゆる対北朝鮮最強硬派だから、内心の不満げな様子は隠せないものの、それでも公式的には「一歩前進」と評価する。
 同じく与党の神埼公明党代表は「それぞれの分野で一定の評価」があったとした。
 共産党の市田書記局長も、一定の前進があったと評価するし、社民党の福島党首もほぼ同旨である。
 これに対して際立ったのが民主党の岡田代表で、「一国の首相が行ったというのに、一体何しに行ってきたのか全く見えない。」と手厳しい。5人の家族の帰国は既定のことだ、とまでも言っていた。

 要するに、与野党含めて、今回の首相の再訪朝には批判的意見をもちながらも、一部の家族の帰国や膠着状態を打破したことなどは評価しているのだが、野党の中で一番政権に近い最大野党が硬直的な態度を取っているということである。

 これは年金未納問題でも同様の傾向があり、例えば首相の年金未加入問題についても同じ立場である。因みに、共産党までが任意加入の期間の未加入問題については追及しないと明言しているのに、民主党は岡田代表自身が首相の責任を追及するとしている。

 これは「政策ロボット」とあだ名される岡田代表の個性なのか、それとも政権与党とは見解が違ったら徹底的に争うという小沢流儀の影響なのかわからないが、外交問題についてこれほどまで硬直的な態度でいて、一体いつの日にか政権を任せてよいのか疑問である。
 もう少し、現実的で具体的なコメントが欲しいものである。

 

道を切り拓く者には厳しい批判がつきもの

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月22日(土)20時16分50秒
   小泉首相の再訪朝の成果については、私は大いに評価している。
 勇断を持って再訪朝を行い、頓挫した交渉の道を切り拓いたことは余人にはできないことだと思っている。
 
 交渉の模様の一端をテレビでみていると、何かイニシャティブを握っているのは北朝鮮であるかのように見えないでもないが、世の中には「空元気」という言葉もあるように大きな態度を取っている側が強いわけでもない。日本には安定した民主政治と強い経済力がある。ロシアが完全に自由主義経済の軍門にくだり、中国が社会主義と資本主義の中間になるに及んで、強い危機感を持っているのは両国から安定した援助を受けられない北朝鮮の方である。

 こうした客観的な背景があるから、小泉首相は頓挫している交渉を切り拓く機会が到来したと判断したと思うし、結果から見ると意図したところは果たすことができたと考える。

 しかし、家族会や拉致議連などの反発は大きい。おそらく今晩から明日に掛けての政界やメディア、ひょっとすると世論の反撃にあうかもしれない。
 確かに、家族会の立場や、政治的・経済的制裁しか北朝鮮を従わせる道がないと考える立場でなくとも、詳しく考えれば不満な点は幾らかある。家族会が未帰還者と呼ぶ10人の方について「再調査」の約束などはそれであるし、核問題でも前進はない。

 けれども、8人の家族の帰国問題は相当な前進であり、曽我さんの家族、特に夫・ジェンキンズ氏の出国拒否は拉致という犯罪が今の時期にまで影を落としている悲劇としか言いようがない。私は個人的には、ジェンキンズ氏が、小泉首相という一国の代表が一人の個人に説得を試みていることの重大性から考えて、その首相の言葉を信じて、勇気を出して出国を決意すれば別な展開もあったと思う。しかしこれは政治体制を信頼できない以上詮方のないことであり、このことで成果を減ずることはできない。

 このほかにも、批判する立場に立てば、他の問題でも幾らでも批判は可能である。しかし、道の途絶えたところに改めて道を切り拓いたという功績は見逃せない。
 その点、家族会の失望・落胆の思いについて同調はできない。むしろ、当事者であるからこその深い思いであろうとの同情に留まる。
 そして、小泉首相には、道を切り拓いた者が蒙る過度的な批判だと思って我慢するように望みたい。
 

国民年金・3つの誤解(1)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 8日(土)20時33分19秒
  (一)
 4月23日以来、閣僚や野党党首の年金未納問題が政治家の大きな問題となり、これが国会議員の国民年金未納問題に発展し、遂に政府の要である福田官房長官の辞任問題にまで発展した。
 私はこれは誠に憂うべき問題だと思う。
 「これは」とは何を指すかというと、これら道義の廃れた政治家の話でなく、実は大きな誤解を持って語られているいわゆる「国民年金未納問題」のことである。
 したがって、福田官房長官の辞任問題や民主党菅代表の去就問題などは後回しにして、「皆さんのご認識に誤解はありませんか?」と問いたいと思う。

(二)
 まず、国民年金の未納率の問題は相当に誤解されている。
 この誤解は、もっぱらマスメディアのミスリードによるが、そもそも未納率とは何のことかが明確にされていない。
 試みに、昨年の7月にマスメディアに掲載された次の文章を読んで欲しい。
 「しかし、2001年度末で2207万人の加入者のうち、保険料未納者は327万人にも上っている。今年7月に公表された2002年度の保険料納付実績では、納付率は過去最低の62・8%で、未納者は全体の約4割を占めた。このため、社会保険庁は「保険料を納めている人が納付意欲を失う恐れもあり、これ以上放置できない」として、今年度は13年ぶりに強制徴収に踏み切ることにしたものだ。」
 これは、社会保険庁が記者会見を行って配布した資料に基づいて、マスメディアが一斉に書いた記事である。どこの社も大同小異であるから特に社名は書かなかった。
 しかし、ちょっと計算してみて欲しいが、2207万人の4割というと何人だろうか?
 然り、883万人である。

 

国民年金・3つの誤解(2)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 9日(日)09時42分9秒
   上の文章では、2001年度末の保険料未納者は327万人と書いある。883万人ではない。ここでは500万人もの差がある。
 いや、賢明な皆さんは、
「能彦さん、ちゃんと記事を読んでよ。4割というのは2002年度の数字だよ。」
とご指摘なさるかもしれない。そうだとしても、2002年度末の国民年金加入者は2237万人であるから895万人となる。1年間で327万人から568万人もの人が新たに国民年金を未納としたのだろうか?
 そんなことはない。

 実は、2001年度の納付率は70.9%であるから、この裏返しの未納率は29.1%であり、単純に2207万人の3割は何人かと計算すると、これだけでも662万人となる。ところが上の記事では327万人と書いているのだから、これだけで国民年金の加入者数に単純に「未納率」を掛け合わせてはいけないのだと気がつくはずである。
 つまり、マスメディアの記事は、わずかに年数を1年ずらせることで、読者が記事上の数字の検証を行うことをできなくしているのである。これがミスリードでなくてなんであろうか?
 実は、この「未納率」とは納付率の裏返しであり、社会保険庁はこの納付率を「検認率」と読んでいる。そして、「検認率」とは、「納付のあった月数の合計」を分子とし、「納付すべき月数の合計」を分母として得た数字である。
 したがって、仮に私が、、、と言っても私はもう国民年金は納付しなくともいい年齢になっているけれども、、、12ヶ月のうちの8か月分を納付していたとすると、検認率は75%であり、未納率は25%となる。同じような人が日本に100万人居れば、やはり未納率は25%である。もっとも、この場合には未納者は一人も居ないというのが今の社会保険庁の未納者の把握方法である。
  (注)後述するが少しでも納付していれば未納者としてはカウントされないらしい。

 

国民年金・3つの誤解(3)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 8日(土)20時50分9秒
 
 したがって、2001年度における未納率は29.1%であるが、全加入者に対する未納者率は14.8%に当たる327万人ということになる。
 「未納者が4割」という記事が、如何にでたらめであるか、よく考えて欲しいところである。
 ホームページをみると、次代を期待されているというある若手の代議士が、内閣に対して質問趣意書を提出しているが、そのなかでも「加入者の3人に1人が未納という状況は」と書いているが、不勉強も甚だしいと言わなければならない。

 もっとも、この14.8%という数字も計算上のものである。実際には2207万人のうちの376万人が年金の免除者であり、148万人が学生納付特例を受けている。このため検認率の計算上はこの合計524万X12ヶ月という数字は分母から除外されている。
 したがって、未納者率の計算をするなら、分母は2207万人から524万人を差し引いた1683万人を分母としなければならない。この場合の未納者率は19.4%となる。

 なお、社会保険庁は「未納者」と納付した者をどのように区分しているのか、公表資料では説明がない。しかし、検認率の計算方式から考えると、「未納者」とはその年度に1ヶ月分(13300円)も納付しなかった者であり、納付した者とは、12ヶ月払いの年金の内、一ヶ月以上分を納付した者をカウントしているようである。
 この点は確認できていないが、このように考えないと計算方式に矛盾が出てくるから間違いないと考えている。
 では、納付した者とカウントされている人は平均して何か月分を納付しているのか試算してみたところ、私の計算では10.5か月分を納付していることになる。
 逆に言えば、1.5ヶ月分は遅れ気味であるということになると思われる。

 

公民年金・3つの誤解(4)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 8日(土)20時29分59秒
  三)
 さて、政治家に対して、未納、未納という声がかなり聞こえる。こういう呼び方をしているのはマスメディアであるが、この呼び方は正しくない。これも誤解の一つである。
 何故なら、社会保険庁が「未納」としてカウントするのは国民年金の加入者に対しての用語である。別に私は社会保険庁の回し者ではないから、この用語に固執する必要もないのであるが、しかし、どこにもない用語をもってきて不正確な言い方をするマスメディアはおかしいと思う。それだから、いろいろな議論が錯綜する。
 政治家達が盛んに「支払っていなかった。」と釈明しているが、正しく言えば、それは事実であっても国民年金に加入していないのだから支払いようがなかったのである。
 確かに、昭和61年から国民年金は強制加入となって、厚生年金に加入していないのなら国民年金に加入しなければならないが、しかし、それには手続きが必要なのであって、手続きもしないで支払おうと思ったってそれは無理である。だからこういう制度は「任意加入」と言われても仕方がない。
 したがって、マスメディアも政治家も、責めたり釈明したりするなら「加入すべきところを怠った。」と言うべきである。
 現在、国民年金の破綻ということが懸念され、そうした状況にあるときに政治家が加入していないことが問題だ、という議論がある。
 しかし、本当にそうだろうか?
 一体、国民年金への未加入者はそんなに多いのか?これを調べてみると意外に少ない。社会保険庁の公表資料では2002年度で63万人である。公的年金の加入者は全体で7017万人であるから、その0.9%、、、つまり1%にも満たない。国民年金の加入者は2207万人であるから、これに比べても2.9%である。
 この未加入者がすべて加入したとしても、果たして破綻問題の解決に資することができるものだろうか、疑問である。
 それよりも63万人の未加入者のほぼ5倍の、327万人もいる未納者への対処、こちらのほうがはるかに重要ではなかろうか?
 どうも、政治家の未納問題というのは制度の危機の本質的解決とは縁遠いと思う。そうした意味でも、民主党の菅代表の夫人が武蔵野市役所の対応の不親切さについて批判的なコメントをし、「支払おうにも支払う方法がない。」と言っているのに同情する。
 

国民年金・3つの誤解(5)

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 8日(土)20時28分57秒
  (四)
 最後に、国民年金の収支状況についての誤解について触れる。
 昨年、国民年金の収支状況は、初めて赤字になったということで大きな問題となった。勿論単年度で赤字になったのだから、こういう状況が継続するなら、将来国民年金の給付が受けられないことになるから問題となっていい。
 確かに、社会保険庁の公表資料では国民年金の実質的な収支状況は赤字になっている。
平成10年度、11年度にはそれぞれ5000億円も黒字であったのに、それが、平成12年度には3591億円(黒字)に低下し、平成13年度には1282億円(黒字)となり、平成14年度には遂に382億円の赤字となったのである。

 しかし、そもそもこの「実質的な収支状況」の収支残をみると、平成10年度から平成13年度までは運用収入が多いときは約3400億円から2000億円もあり、これが単年度収支に大きく寄与していたのである。しかし、平成14年度にはこの運用収入が対前年で366億円も減少して1897億円となった。丁度、この減少に見合う382億円が単年度赤字となった主要な原因なのである。
 簡単に言えば、いささか楽観的ではあるが、株式市況が活況をみせた平成15年度は、むしろ大幅な黒字を計上することになるのではないかと思っている。

(五)
 以上、やや数字の説明が多かったかもしれないが、私はマスメディアは少し中央官庁の配布する資料の説明要旨に流されすぎだと思う。もう少し、提供された資料の内容を読み取る能力があるならば、その意味するところも間違わない。
 断っておくが、中央官庁はほとんど間違った計数資料は流さない。その資料に、中央官庁の期待を込めたコメントを付すことはあるが、そのとおりにマスメディアが操作されるとも思っていない。
 したがって、一にかかってマスメディアの取材記者が提供された資料をどのように読み取るかが、読者をミスリードするかしないかの鍵である。
 また、読者も、どんどんマスメディアに疑問点を提示すべきだと思う。それによって、この国民年金未納問題のような誤解も避けられると思う。
 なお、私は国民年金はじめ社会保険料の未納・滞納が多いことには心から憂慮している。そのためにも何か役に立つことがあれば、これからも提言していきたいと思っている。

 

いい加減な広告

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 5月 7日(金)23時37分36秒
   広告を掲載した会社は、広告の文中で言い逃れはしたつもりでいるようだから、本来は会社名を掲げて正面から批判してもよいことだと思うが、別段私は消費者運動を繰り広げようとしているものでもないから、そこまではしない。
 しかし、心からの違和感を覚えたから、ここに感じたままを述べてみたい。
 ここでの「広告」というのは、本日付けの産経新聞に掲載された日本でもトップクラスの自動車会社の乗用車の新車広告である。
 この広告は一面全面広告で、日光の陽明門前の石段下に新モデルの乗用車を駐車させて、その脇(石段下)に中年夫婦が手をつないで幸せそうに会話をしている光景となっている。
 右手上の方には新車モデル名を書いた上に「世界遺産ー日光の社寺へ」とも書いている。

 この「石段下」というのは、概ね団体写真とか修学旅行の集団写真を撮影する場所ともなっていて、普段は勿論車が入ってこれる場所ではないし、拝観禁止の日にだって特別な方法を講じないと車両が進入できそうにない場所である。

 私は、世界遺産のこんな間近に乗用車など入れるのかな、、、と素朴な違和感を感じて、広告のどこかに何か説明文がないかと思って一瞥したが、残念ながらそれらしき説明文が見つからなかった。
 しかし、幸いにも同じ広告に、「お客様相談コーナー」というフリーダイヤルの電話番号を見つけたので、ここにダイヤルしてみた。そして応答した女性に、
「乗用車が陽明門の前に駐車しているという広告に違和感を感じたので電話したのですが。。」
 と問いかけた。するとその女性は、即座に、
「はい、そのことについては少し小さいかもしれませんが、広告の文中に『この広告はイメージです。実際にはこの場所には駐車できません。』という文章があります。」
 というのである。
 あれ、そんな文章があったかな?と思いつつ、案内された箇所を見ると、確かにその文章はある。そこで、あ、これで免責されるのかな?と考えて
「分かりました。」と礼を言って電話を終えたのだが、、、しかし、どうもおかしい。

 確かに、テレビやパソコンのモニターなどの広告では、「画面はハメコミです。」という表示がある。しかし、この場合はモニターの写り具合の広告ではないのだから真実の表示ではなくとも許されるのではないだろうか?
 けれども、この乗用車の広告は、どう考えても陽明門という世界遺産の間近に乗用車が駐車しているという(合成)写真であり、一見すると駐車が許容されている場所であることを強調した写真である。つまり、「乗用車ならば陽明門のこんな近くまで来れるんですよ。」という消費者への強力な誘引となる写真だと考えるのである。

 もし、他の読者も同じような感じを抱くとしたら、これはやはり真実の表示とはいえないし、虫眼鏡で見なければ見えないような文字で免責文(のつもりの文)を書いてあったとしても、極めて不用意な広告なのではないだろうか?
 もっとも、「この乗用車だったら、世界遺産に環境汚染を齎すようなことはない。」という趣旨の広告だったら、それはまた別のことだと思うが、残念ながらそういう説明は、これもまた虫眼鏡でしか見えなかった。
 

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