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(1) 「かんぽの宿」を一括してオリックス不動産に譲渡する契約をめぐる一連の騒動は、どうやら鳩山総務大臣や一部民主党議員たちの指摘の通り、国民全体にはうまく説明のできない不可解な契約であったことがほぼ明らかになってきた。おそらく日本郵政の失態として決着することになるのだろう。
私自身は、最初にこの問題が報じられたとき、契約の相手方が「オリックス」の名を冠した企業であり、かつこの企業に一括して譲渡されるのだということに非常に不快感を覚えた。とは言っても「オリックス」という企業群に不快の念を持っていたのではない。この企業群の総帥である宮内氏が小泉内閣の規制改革施策の中で大きな役割を占めていたからである。
ある施策の中で主要な役割を占める人物が総帥である企業が、その一環である郵政改革の中で郵政所有の資産を買い取ると言うことは、あたかも明治政府の下、三菱財閥の創始者が時の政府から政府資産の払い下げを受けて豪商への道を歩み出したことを思い出させる。同時に、小泉改革とは結局この程度のものであったのかと思わせる。
これらの観点から、報道によって伝えられる鳩山総務大臣のこの事件に関する発言には、ある意味で共感を持って接していた。
(2) 他方、新聞報道によると、日本郵政の西川社長は、オリックス不動産が譲渡後のかんぽの宿の従業員を2年間雇用保障する条件であったから最高の条件であったと説明するなど、一定の合理性を保持しているようにもみえた。また、竹中慶応大学教授がこの譲渡の正当性を論じたりもしたから、正直なことをいえば、鳩山総務大臣の行動に共感を覚えつつも、日本郵政がきちんと説明できれば、それはそれで政策遂行者の責任はないのかな、という気持ちも持っていた。特に、朝日新聞の社説における主張などは、明快に鳩山総務大臣の反応を行き過ぎと見なしていたから、事実関係を掌握するはずもない我々には、どちらが正しいのか判断しかねたところがある。
こうした曖昧さをガラリと変えたのは、かんぽの宿以外の資産が、物件によっては僅か1万円であったなど、極めて低額で譲渡された後に、これが更に数千万円で転売された事例が複数判明してためである。
事実は雄弁である。こうした例があれば、かんぽの宿だって、何かおかしなことがあっても不思議なことではない。不当なことはあり得るのである。これをきっかけに、日本郵政はオリックス不動産との契約を停止し、遂には解約した。
そうして、今日の産経新聞の報道によると、鳩山総務大臣は、一連の入札経緯はすべて「ごまかし」であることはほぼ間違いない、と発言するに至った。これは日本郵政から取り寄せた資料の分析によるということだから、どうやら、事実は日本郵政が事実を隠蔽していたか、あるいは真実の説明をしてこなかったといことであろう。
(3) こうしたことから考えてみると、日本郵政も民間会社であるとはいえ、未だ公共的な機関であることは間違いないから、一般に公的機関は疑わしい事柄であっても真実の説明はせず、自らに都合の良いことだけを説明するにとどまるものだということになりそうである。
そして、一般国民は、普段は一応の合理性がある説明を、真実の報告として受け止めざるを得ない状況に置かれている、ということである。
現在は、情報公開法なども制定されていて、政府公共機関の透明性は格段に改善されている(この制度とて不十分ではあるが、「昔に比べれば」ということである。)はずなのに、現状はこんな程度である。
そうなると、一般国民は、通常の常識的な感覚からして「おかしいな?」と感ずるものがあれば、「これは本当ではないのではないのか?」という観点から政府公共機関の振る舞いを監視せざるを得ない。あるいはまた、報道機関に対して、「こんなことが許されるのはおかしいから、きちんと真実を取材してくれ!」と言わざるを得ないことになる。
こういう世の中は、まことに嘆かわしいものである。公の機関は真実の事実を隠蔽し、国民は直感とか常識でしか対応できないのであれば、これは21世紀の時代のことではない。権力者だけが情報を握っていた旧世代の政治である。
発表されない事実や誰にでも平等に適用されている制度のことならば、国民は不平は言わないし(また、言うこともできない)、探ろうともしない(そもそも、探るべき端緒がない。)のが通常である。そのことは基本的に改善されなければならないことであるが、それはまた別の観点から論じられなければならないから今は擱いておこう。
しかし、ひとたび発表することになるならば、そこに嘘があってはいけない。況んや、国民が、「そんなことがまさか」と思うようなことはあってはならないし、事実は真実の事実に基づいてのみ発表されるべきある。そうでなければ、もともと一般国民が為政者にかすかに抱いている「権力者は何かおかしなことをしているのではないか?」という疑念を確信にまで高め、政治不信はますます高まることになる。
今回は、総務大臣という権力者が不当な事実を指弾したに等しいが、本来はそれが監督責任としては当然のことである。ところがこれが何故か清々しい気がするのは、また妙なものである。
(2月21日記)
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