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つい最近、業界の役員会に、裁判員制度を周知するためということで、最高検の検事さんがお出でになり、30分ほどお話された。
最高検察庁というエライところの検事さんにしては、随分とスマートで気さくな女性検事さんだった。演壇からはちょっと離れたところの私の隣の人が、名前も告げずに質問したのだが、答えるときには直ちに名札の役職を読み取って、役職と姓名を答えの中に織り込んで答えていたから、頭の働きも相当な方とお見受けした。
話の内容は裁判員制度導入の意義と、制度の内容、そして裁判員に選定されても辞退しないで下さいというもので、お話も中々楽しかった。
例えば、こんな話があった。裁判員候補者名簿に登載されていて、具体的な事件のときにその候補者の中から裁判員が選任されるのであるが、70歳以上であれば辞退することができることになっている。我々の業界は高齢者が多いし、その会議でも明らかに70歳以上の高齢者だと思われる方もかなりおられた。しかし件の検事さんは、そんな方の目の前で、「辞退することができるのですが、辞退しなくってもいいのですよ。特に皆さんは拝見する限りたいそうお元気そうですから、そんなことは必要ないですよね。」という調子で、裁判員制度の定着に大変熱心であり、好感をもてた。
しかしながら、どうにも気にかかることがある。話に先立って配布したパンフレットには、「平成21年スタート 私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します。」とある。
けれども裁判員選任手続の仕組みを聞いてみると、そんな個人の視点とか、個人の感覚とかは一定の時期に篩いにかけられ、結局のところ「公正な判断力の持ち主」しか選任されないようになっているらしい。
仮に一つの具体的な事件があったとする。この事件は刑事事件で重大な犯罪、例えば、殺人、強盗事件、強姦事件などに限られているらしいので、ここでは強姦事件だとしよう。
そうすると、まず裁判員候補者名簿の中から50人くらいの候補者がリストアップされるのだそうだ。その中で辞退理由がある人がまず除外されるが、更に残った人中でも裁判官が面談して、極端な考えを持っているなあと判断できる人は篩い落とされるというのである。このほかにも弁護人と検察官は、法律に定める数の範囲内で裁判員候補の中から特定の人を除外することができるというのである。
例えば、強姦事件の場合だと、弁護人が女性の裁判員候補について、「この人は若い女性だから、強姦事件に関しては当然有罪判断に傾きやすいだろう。」と考えて除外することがあるかもしれないというのである。
こうやって考えてみると、折角裁判員制度に協力しようと思っていても、裁判官、弁護士、検察官の主観によって排除されるということが十分にあるということである。
刑事事件の審理に国民の視点を入れるという発想は良いのかもしれないが、現実の裁判員の選任が、一般国民とは異なる法曹という人種、ある意味では一方の当事者であるものの主観によって行われるというのは如何なものかという気がする。それではパンフレットに書いていることと違うのではないだろうか?裁判員の選任は事件には関わらない委員会や機関の選考とすべきだったのではないかと思うが、如何であろうか?
なんにしても、翻って私が裁判員に選任されたどうなるかと思うと身震いする。それは別に、審理事件が刑事の重大事件だからというのではなく、これ以上、私から時間を奪わないで欲しいと思うからである。
そう考えると、新聞等で大きく報道された刑事事件はよく覚えていて、裁判員辞退の適当な理由がないときは、裁判官の面前で、その事件に関する極端な感想を強く言えば、そうすればもしかするとうまく除外されるのかなあと、、少しばかり良からぬ事も考えてしまう。
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