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政治家の健康のことを書いたが、では自分はどうかというと結構病気持ちであるから、あんまり他人や他の職業人のことをあれこれ言う資格はない。
しかし、医者通いしている病気は1種類で、しかも3ヶ月に一度の定期健診をすれば、その都度無罪放免を言い渡されているのだから、そんなに不健康ではない。いや、「無罪放免」と言っても次の検診日を指定されるのだからさしずめ「保護観察」か執行猶予であろうか?
ところが、最近横着になって、その3ヶ月検診もときには約束をすっぽかす。もともと3ヶ月ごとに検診を受けて、特に病状の進行がないから、それでもって前と同じ種類の薬を貰ってくるだけの病気である。だから、少し緊張感が欠けているのかもしれない。
そもそも緊張感が欠けているのは、病状の進行が止まっているからだ。この病気が発見されたのは今から15年前。そのときは現役の仕事もできなくなるのかと心配し、前途も悲観したが、医者によると、完治はしないが進行をとめれば生活には支障ないと言われ、ほっと一息をついた。
その後は1ヵ月毎の検診を繰り返し、今の病院に代わってからは3ヶ月検診になっているが、こうした通院の真面目さの賜物かどうかはわからないものの、病状が進行していないといわれて安心している。
とは言え、この3月に「次は6月」ということになっていたのをすっぽかし、途中で気がついて改めて8月に予約を入れたがこれもすっぽかしてしまった。これはかなり緊張感を欠いていると、誰でも思うのではないか。
どうしてこんなに緊張感を欠くようになったのか?どうやらその原因は、貰ってくる薬の相性の良さだ。
つい先日、こんなに予約の約束をすっぽかしてはいけないと思って、また予約を入れようとしたら、何しろ専門外来なので、10月の末しか空いていないという。それでも一応その予約はしてもらった。
ところが今度は、薬の方が無くなってきた。これは、実は、3月の検診のときに、あれこれ理由をつけて薬を多く貰っていた。そんなに多く貰っていても、結局は半年以上も病院に行かないのだから薬も少なくなってくる道理だ。そして、薬が少なくなって心細くなってくると、どうやら反省の気持ちが起こってきた。
振り返ってみると、現在の病院に代わってから、医師が良く診てくれて、病状の進行を止めるにはどの薬が良いかいろいろ試してくれた。その結果、現在の薬が適しているということになり、これを続けていた。そもそも私の病気は普段、何かしらの症状を自覚させるような病気ではない。だからこの薬が効いているとか、相性が良いとかは軽々にいえない。しかし、検診日ごとの検診数値は明らかに一定しているので、これはやはり相性がいいのだろうと思う。そしてそれがまたマンネリを生んだのであろう。
いつしか「病院に行っても、最近の症状を聞かれて、そしていつもの薬を貰って帰るだけ。私のように忙しい身にはこの時間さえ惜しい。」という気持ちになったようだ。
しかし、これは病気に対する私の考え違いだ。病気と闘っているのは自分だけではない。病気を完治させたり、私の病気のように完治させることのできない病気の場合は、完治させなくともその進行を止めるためには、医師と患者の共同作業が必要であるはずだ。そのために医師は一定期間ごとに患者を呼んでは問診をする。時には先進医療機器による精密検査も行っているのだ。ただ、医師の相手は極めて大多数なので、予約をすっぽかす患者に対応できないだけだ。これは患者としては大きな心得違いをしたものだと思う。
幸い、今朝病院に行って、「予約の検診日には間に合わないので、とりあえず薬だけでは欲しい。」と頼んだら、朝の、患者がごった返す大病院の忙しい中にあっても、看護師も(そして会えなかった医師も)快く処方箋を出してくれた。これをどう考えるかというと、「そんなことは病院なんだから当たり前だ。」と思うこともできるが、しかしそうではなく、やはり、病気に対する共同戦線を形作っている病院だからだと感謝すべきだろう。
反省の一日であった。
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