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孫の可愛さ

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月26日(木)10時08分36秒
   孫とはかわいいものと聞いていたが、現実に我が家の孫の成長をみているとそのことを実感する。俗に目の中に入れても痛くないというが、よくも表現したものだと思う。実際には、歯が生えてきたころに、ちょっとした食べ物をとってやたら、誤って指をかまれたことがあって、そのときの痛さ加減と言ったら大変なものだったが。。。。
 そのうちに、言葉を覚えるようになってきて、こちらが言うことを直ぐに覚えて、何かの時にその言葉を使ってくるからまた成長ぶりが見えるようで楽しい。
 しかし、言葉使いがよいものかどうか、まだわからない訳だから何でも覚えてしまうのもどうかと思う。
 我が家の孫の場合、グランマが何かを注意すると、ずいぶん軽く「わかった、わかった!」と言ってそっぽを向いてしまう。この言い方は誰に似たのかと犯人捜しが始まった。初めのうちは、孫のパパらしいなあ。。と言うことになっていたが、その内数日経つと、どうも違うらしいと言うことになってきた。そして、、昨日の家族会議の結論は、、、なんと私だということになった。そう言われれば、罪?を認めないわけにはいかなくなったが、、、、しかし、「やはり、自分の血を引いているのかな?」と誇らしくもなるから不思議なものである。
 

関帝廟

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月23日(月)19時45分24秒
  横浜の中華街に関帝廟というお墓がある。お墓というのは本来おかしいのだが、でも、「廟」とはお墓のことだから仕方ない。
 私は、この関帝廟というのは日本中の人が知っていると独り合点していたが、そんなものではないらしい。
 今日は月に一度の会議メンバーで、会議が終わってから中華街に繰り出したのだが、中華街の予約した店に入る前に、関帝廟が近くにあることもあって私が言い出して見学に出かけた。
 私は以前にみたつもりだったが、当時のものよりも遙かに豪華で、しかもライトアップされていて、さながら黄金の宮殿のようであった。
 そこまでは良かったが、20人ほどの会議メンバーの数人が、「ここは誰を祀っているの?」という問を出したので、私はがっくりした。
 関帝廟はいうまでもなく三国志に登場するスター、関羽という豪傑を祀っている。諸葛孔明、張飛、趙雲子龍とともに蜀の劉備玄徳を支えた忠義の軍神だ。どうしてこんなことを知らないのかと、、、悲しく思った一瞬であった。
ただ、落ち着いて考えてみると、英雄・関羽の廟が何故横浜中華街にあるのかと言われると自分でもはたと困る。聞くところによると、関羽は商売の神様なので中華街に祀られているのだと言うが、どうして関羽が商売の神様なのかという由来まで走らない。こうなると、関帝廟=関羽の墓ということを知らない人がいても、私が悲しむべき理由もないというべきか?(2月16日記)
 

「かんぽの宿」騒動の受け止め方

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月22日(日)11時35分11秒
  (1) 「かんぽの宿」を一括してオリックス不動産に譲渡する契約をめぐる一連の騒動は、どうやら鳩山総務大臣や一部民主党議員たちの指摘の通り、国民全体にはうまく説明のできない不可解な契約であったことがほぼ明らかになってきた。おそらく日本郵政の失態として決着することになるのだろう。
 私自身は、最初にこの問題が報じられたとき、契約の相手方が「オリックス」の名を冠した企業であり、かつこの企業に一括して譲渡されるのだということに非常に不快感を覚えた。とは言っても「オリックス」という企業群に不快の念を持っていたのではない。この企業群の総帥である宮内氏が小泉内閣の規制改革施策の中で大きな役割を占めていたからである。
 ある施策の中で主要な役割を占める人物が総帥である企業が、その一環である郵政改革の中で郵政所有の資産を買い取ると言うことは、あたかも明治政府の下、三菱財閥の創始者が時の政府から政府資産の払い下げを受けて豪商への道を歩み出したことを思い出させる。同時に、小泉改革とは結局この程度のものであったのかと思わせる。
 これらの観点から、報道によって伝えられる鳩山総務大臣のこの事件に関する発言には、ある意味で共感を持って接していた。


(2) 他方、新聞報道によると、日本郵政の西川社長は、オリックス不動産が譲渡後のかんぽの宿の従業員を2年間雇用保障する条件であったから最高の条件であったと説明するなど、一定の合理性を保持しているようにもみえた。また、竹中慶応大学教授がこの譲渡の正当性を論じたりもしたから、正直なことをいえば、鳩山総務大臣の行動に共感を覚えつつも、日本郵政がきちんと説明できれば、それはそれで政策遂行者の責任はないのかな、という気持ちも持っていた。特に、朝日新聞の社説における主張などは、明快に鳩山総務大臣の反応を行き過ぎと見なしていたから、事実関係を掌握するはずもない我々には、どちらが正しいのか判断しかねたところがある。
 こうした曖昧さをガラリと変えたのは、かんぽの宿以外の資産が、物件によっては僅か1万円であったなど、極めて低額で譲渡された後に、これが更に数千万円で転売された事例が複数判明してためである。
 事実は雄弁である。こうした例があれば、かんぽの宿だって、何かおかしなことがあっても不思議なことではない。不当なことはあり得るのである。これをきっかけに、日本郵政はオリックス不動産との契約を停止し、遂には解約した。
 そうして、今日の産経新聞の報道によると、鳩山総務大臣は、一連の入札経緯はすべて「ごまかし」であることはほぼ間違いない、と発言するに至った。これは日本郵政から取り寄せた資料の分析によるということだから、どうやら、事実は日本郵政が事実を隠蔽していたか、あるいは真実の説明をしてこなかったといことであろう。


(3) こうしたことから考えてみると、日本郵政も民間会社であるとはいえ、未だ公共的な機関であることは間違いないから、一般に公的機関は疑わしい事柄であっても真実の説明はせず、自らに都合の良いことだけを説明するにとどまるものだということになりそうである。
 そして、一般国民は、普段は一応の合理性がある説明を、真実の報告として受け止めざるを得ない状況に置かれている、ということである。
 現在は、情報公開法なども制定されていて、政府公共機関の透明性は格段に改善されている(この制度とて不十分ではあるが、「昔に比べれば」ということである。)はずなのに、現状はこんな程度である。
 そうなると、一般国民は、通常の常識的な感覚からして「おかしいな?」と感ずるものがあれば、「これは本当ではないのではないのか?」という観点から政府公共機関の振る舞いを監視せざるを得ない。あるいはまた、報道機関に対して、「こんなことが許されるのはおかしいから、きちんと真実を取材してくれ!」と言わざるを得ないことになる。
 こういう世の中は、まことに嘆かわしいものである。公の機関は真実の事実を隠蔽し、国民は直感とか常識でしか対応できないのであれば、これは21世紀の時代のことではない。権力者だけが情報を握っていた旧世代の政治である。
 発表されない事実や誰にでも平等に適用されている制度のことならば、国民は不平は言わないし(また、言うこともできない)、探ろうともしない(そもそも、探るべき端緒がない。)のが通常である。そのことは基本的に改善されなければならないことであるが、それはまた別の観点から論じられなければならないから今は擱いておこう。
しかし、ひとたび発表することになるならば、そこに嘘があってはいけない。況んや、国民が、「そんなことがまさか」と思うようなことはあってはならないし、事実は真実の事実に基づいてのみ発表されるべきある。そうでなければ、もともと一般国民が為政者にかすかに抱いている「権力者は何かおかしなことをしているのではないか?」という疑念を確信にまで高め、政治不信はますます高まることになる。
 今回は、総務大臣という権力者が不当な事実を指弾したに等しいが、本来はそれが監督責任としては当然のことである。ところがこれが何故か清々しい気がするのは、また妙なものである。
(2月21日記)
 

良書との出会い

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月18日(水)17時18分49秒
   書店で、「これは!」と思う一冊の本を見つけると、もう読了するまで手を離すことができない。どんな分野の本かというと、大体が大河小説、特に歴史物が多いが、必ずしも著名な人物とは限らない。また、推理小説でも剣豪小説でも、ノンフィクションでも何でもいいのだが、概して長編でないと読む気がしない。
 スタイルとしては、真面目な人間が、最後には報われるとか、ハッピーエンドではなくとも将来に明るい期待を持たせてくれるものが好きなようだ。だから、悲劇的な結末になるものは苦手だ。例えば、高杉良の「社長の器」という文庫本があった。この本は弟が中小企業の社長で、兄が世界規模の会社の社長で、かつ兄弟仲が険悪という関係のストーりーである。この弟が政界進出を果たして、数年たって急逝するところから物語が始まるので、展開を楽しみにしていたが、兄が弟の遺族を経済的に追い詰めるという筋書きになったので、途中で読むのがいやになった。でも、終章が「一陽来復」という題だったから、それでも裁判資料のようなくどい表現の中間を飛ばし飛ばし読んだのだが、結局はハッピーエンドとはならなかったので、なんだか損したような気持ちになった。
 それはともかく、このような自分なりの楽しみの観点から熱中できる本であれば、ほんとうになるべく早く読了しようと必死である。
 さすがに日中の仕事や会議の時は読むわけにはゆかないが、電車での小さな移動や、時間調整の小休止の時には、いそいそと鞄から取り出しては物語の展開を目で追う。
 夕方までは、毎日おおむね仕事などで過ごすから、帰宅してからの自由な時間ともなると、もう本が手から離れない。読書の秋でもないのに、布団の中で深更まで読み続けて止まらない。
 これでは翌日の業務に差し支えるから、今では、夜はラジオをつけたままにし、60分ごとに番組が切れるようにして時をはかっている。つまり、ラジオの音声が切れたら静かになるから、これで1時間が過ぎたことを知ることになる。こうやって、午前3時頃になると、、、、読み切れなかった無念の思いを噛みしめて就寝に至る。
 ただ、惜しむらくは、ここまで夢中にさせてくれる本は、そう、まあ、1ヶ月に1冊だろうか?考えてみれば、書店でもこういう本はないものかと、ほぼ2時間くらい探し回っていることがある。良書というのか、好書というのか、これに出会うのは難しい。(2月12日記を修正)
 

河津町の桜祭り

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月15日(日)11時30分0秒
  伊豆半島下田の隣町・河津町の桜祭りに行ってきた。
 まだ、2月のはじめだが、ここの桜は早いから有名だ。7日から桜祭はじまりだというので、少し早いのかな、と心配しながらでかけたが、もう桜は5分咲きの気配だし、木によっては桜花爛漫と咲き誇っているものもあり、十分に目を楽しませてくれた。
 川岸に遙か彼方まで咲き誇る風情は、すっかり春の気配だ。川のすぐ先には山が迫っていて、麓の竹林の淡い緑も日本画の美しさを醸し出させてくれる。これを桜とともにカメラに納めようとしたが、残念ながらうまくいかなかった。
 しかし、1月以来の忙しさを忘れ、自然の美しさに浸ることができたのは望外の幸せであった。(2月11日記)
 

「今日のZAKKAN」の再開

 投稿者:能彦  投稿日:2009年 2月15日(日)11時20分21秒
  前回のアップが一年以上前とは驚いた。かくも長き不在、、、、そういう気持ちであるが、この間も元気に社会活動を行っていたことは間違いない。
いや、むしろ他に向けるエネルギーが多すぎて、この幸齢ホームページがおろそかになってしまった。というのが実情だ。
この状況はこれからも続くが、50歳代のおわりに生涯のテーマと決めた高齢者ネットを、このままにはしたくない。
特に、ウルマンノの「青春」の詩の普及という新しいテーマも加わったいるので、できるだけ充実していこうと思う。
 もっとも、「充実していこう」といっても、このウェブを顧みてくださる方はかなり減ったことであろうと思っている。これも身から出たさびで仕方ないことである。自らは、ある意味では孤独を愉しみ、孤高に生きることを良しとするところもあるが、何か寂しいところがあることも事実だ。しかし、失った信頼は容易には取り戻せないのだから、真摯に細く長く続けていくしかあるまいと思う。
 その方法であるが、ともかくポータルサイトにアクセスし、そこで「今日のzakkann」を書いて、これを骨格としようと思う。その後、これを基にして本欄に移し替えるということなら、何とかできそうな気がする。
因みに「今日のZAKKAN」は大文字であるが、「今日のzakkann」は小文字である。

では再開しよう。
 

博多・秋田読書の旅

 投稿者:能彦  投稿日:2007年10月21日(日)12時02分43秒
  二日間、九州・博多と東北・秋田に出掛けてきた。博多へは、これは業界団体の会議であり、しかし報酬がでないという面からいえば半ばはボランティアである。秋田へは、こちらはお世話になっていた親戚の葬儀への出席だからプライベートなものである。
このところ、ハードな日程が続いていたが、会議日程ならともかく、葬式のような日程が急に入ってくることを考えると、どんな日程も自分だけで自由に作るものでないから、これを着実にこなしていくしかない。
ただ、東京から博多へ行き,翌日にはまた東京から秋田へ行くというのはいささか旅行時間が長い。東京から博多といっても、自宅からすぐに航空機に乗れるわけではない。秋田の場合は、急な葬儀だったので航空券の予約をしようとしたところ満席だったので新幹線で向かうしかなかったから東京駅まで行かないといけない。こうした時間を往復と併せ考えると旅行時間は結構長い。この長い旅行時間を機中や車中で仕事に向ける方法もないではないが、過去の例から見るとせいぜいそれほどは面白くもない記録を読むにとどまっていたからあんまり生産性が高いとも言えない。
そこで今回はこの期間は読書に向けることにした。

博多への出発前夜、近くの書店で、「長編でかつ、旅行中の長時間でも退屈しないで読める文庫本」という選定基準を設けて本を探した。すぐに居眠りしてもいいのなら、梅原 猛さんの哲学めいた本を読んでみたいのだが、経験則では、あまり硬質の本では長続きしない。それに今回は航空券の予約席でも新幹線のそれでも窓側は取れなかったから、ひたすら本に没頭できる面白いものでなければならなかった。そこで好きな歴史ものにすることにした。最近では中国に題材をとった面白そうな本が結構あったと思った。これらは結構長編なものばかりなので、まずこれを求めようとしたが、二日間では読み切れなかったり、逆に分量として少なかったりしたから諦めた。
では戦国物は、と思って探したが、これも文庫本ではすでに読んでしまったものが多く、新しいものはまた一日もあれば充分なものばかりで、二日間の長旅には向かない。そうこうしているうちに、以前に読んだ「全宗」という本が目に付いた。これは関白秀吉の政治顧問で医師でもあった施薬院全宗の一代記というか伝奇物語であるが、これを読んだ当時、作家の火坂雅志の、歴史発掘能力というか問題発見能力に感心した記憶があった。そこでこの作家の名を思い出して、更に書棚を探したところ、藤堂高虎を描いた「虎の城」に行きあたった。

この二日間の旅行時間は、上下巻1400ページを、空港への往復、航空機の待ち時間、
食堂での食事、東京駅との往復、新幹線内での往復全時間、、、ただただ読みふけった。お陰で、久しぶりに仕事から、ボランティアから、家庭から、、、ことごとく解放された別世界にいたような感覚である。
しかし、これ以上は「今日のZAKKAN」として長すぎるので、「虎の城」についてはまた別稿としよう。
 

3連休

 投稿者:能彦  投稿日:2007年10月 8日(月)10時38分51秒
   夏以降3回目の連休だが、私にはルーティンな仕事を処理できる貴重な3日間だとの思いが強い。実際、第一日目である土曜日は、いつもの時間に事務所に出かけ、比較的短時間に急ぎの仕事を片付けた。
ところが、世の中には私の仕事の段取りを心得ている人もいて、急ぎの仕事を片付けたところでちょうど電話が鳴った。受話器を取り上げてみると関与先の社長からである。いつも忙しいのは承知しているが、是非相談したいことがあるから会社に来てくれないかという頼みであった。
この社長には開業以来お世話になっているから断れない。そこで出かけることにしたが、折悪しく秋晴れの3連休とあって、東名高速道路は料金所のはるか手前から大渋滞で、完全に巻き込まれ、結局、普段なら50分もあれば悠々到着するところに、実に一時間40分も要してしまった。帰りは比較的順調であったが、この往復で、その後の予定をこなすことにかなり意欲をなくした。そこで、「ま、明日もあさってもあるから、のんびりやろう。」と、そう考えて、まだ夕方になる前に家に引き上げることにした。
二日目、というのは昨日のことであるが、前日には早めにベッドに入ったのに妙に起きられない。「明日は今日できなかった分をこなすから、少し早めに事務所に行くぞ。」と公言していたのだがどうしたことか?それでもいつもより少し遅めにはなったが、まあ、なんとか事務所に行く態勢は調ったので、休憩のつもりでテレビの前の長椅子に腰を下ろした。するとどうしたことか、急に出かけようとする意欲が萎えてしまった。やはり、「今日は連休二日目だ。」という意識が高じたのであろうか?
内心、これは困ったな、、、と思っているところに、家人が、今日は孫が昼頃に遊びに来ると言う。孫は3月に生まれたばかりで、まだはいはいができる程度であるが、手前味噌ながらとても可愛い。“そうか、あれが来るのか!”と思った瞬間、疲労感は無くなったが反対に事務所へ出かける意欲もなくした。「そうか?じゃあ、今日は出かけるのはやめた!」と宣言して、そのまま自堕落を決め込んだ。
三日目。昨夜孫が帰ってから何か充実感が出てきた。そこで「明日こそは早く出るぞ!」と宣言した。その宣言の所為か、或いは孫から元気を貰ったのか、今日は6時前に起床できた。ともかく昨日とは大違いの起床スタイルである。この気力が昨日のように萎えては大変である。新聞も読まず、髭も剃らず、朝食はいらないことにして事務所に出てきた。
あれから3時間。気力のあるときは不思議なものである。今日は深夜まででも頑張れそうだ。
 

谷間の静けさ

 投稿者:能彦  投稿日:2007年10月 2日(火)02時03分28秒
  芸術の秋、、という訳でもないが、柄にもなくコンサートに行ってきた。
プログラムはバイオリン、ヴィオラ、チェロなどの弦楽演奏曲目ばかりであったが、久しぶりのクラシックということで十分に堪能した。
中でも、チャイコフスキーの弦楽セレナード・ハ長調op48には、彼の作品である交響曲「悲愴」を思い出させるところがあり、身を乗り出して聴いた。
もともと私は「悲愴」が大好きで、もし許されるなら自分の葬式のときにはこの曲を演奏して欲しいと思っているほどである。この交響曲と弦楽セレナードのどこが似ているかというと、そこはたいして鑑賞センスをもたない音楽の素人だからうまくは表現できない。ただ、「悲愴」には、もしかすると演奏を中断してしまうのではないかと思われるほどの、一瞬の深い静寂がときどき挿入されている。そして、すぐまた重厚な流れるような演奏へと移っていくが、この一瞬の深い静寂が次の旋律を効果的にひきたてていて、聴く者の感動を呼び覚ましているように思う。
弦楽セレナードの演奏でも、第一楽章にこの手法が何度か取り入れられているようで、このことが私に「悲愴」との親近感を感じさせてくれた。

この静けさは何だろうと考えた。
バイオリンの奏でる柔らかな旋律が始まってすぐ、突然に演奏を中断するかのように音が途切れ、はっと上を見上げるような虚無感に襲われたと思う間もなく、また、調和のとれたバイオリン、チェロ、ヴィオラの音がコントラバスの重い音をベースにして流れる。これは、青空の下で山歩きをしていて、清水の音を聞いて谷間に降り立ち、思わず自分が周囲の山肌の間に投げ込まれていることに気づいた時の真っ白な静けさのように思う。
チャイコフスキーの作るこの静けさは、確かに深いものである。しかし、それはまたすぐに、谷底から見える青空の高みにまで導いてくれそうな旋律の準備でもある。
こうした静けさが、あるいはこうした静けさの中にいることが、時として私のような者にも何かを感じさせてくれるとすれば、音楽の良さは静寂の中にあると言えなくもないように思う。
 

裁判員のパンフレットと違いませんか?

 投稿者:能彦  投稿日:2007年 9月29日(土)13時32分38秒
  つい最近、業界の役員会に、裁判員制度を周知するためということで、最高検の検事さんがお出でになり、30分ほどお話された。
最高検察庁というエライところの検事さんにしては、随分とスマートで気さくな女性検事さんだった。演壇からはちょっと離れたところの私の隣の人が、名前も告げずに質問したのだが、答えるときには直ちに名札の役職を読み取って、役職と姓名を答えの中に織り込んで答えていたから、頭の働きも相当な方とお見受けした。
話の内容は裁判員制度導入の意義と、制度の内容、そして裁判員に選定されても辞退しないで下さいというもので、お話も中々楽しかった。
例えば、こんな話があった。裁判員候補者名簿に登載されていて、具体的な事件のときにその候補者の中から裁判員が選任されるのであるが、70歳以上であれば辞退することができることになっている。我々の業界は高齢者が多いし、その会議でも明らかに70歳以上の高齢者だと思われる方もかなりおられた。しかし件の検事さんは、そんな方の目の前で、「辞退することができるのですが、辞退しなくってもいいのですよ。特に皆さんは拝見する限りたいそうお元気そうですから、そんなことは必要ないですよね。」という調子で、裁判員制度の定着に大変熱心であり、好感をもてた。

しかしながら、どうにも気にかかることがある。話に先立って配布したパンフレットには、「平成21年スタート  私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します。」とある。
けれども裁判員選任手続の仕組みを聞いてみると、そんな個人の視点とか、個人の感覚とかは一定の時期に篩いにかけられ、結局のところ「公正な判断力の持ち主」しか選任されないようになっているらしい。
仮に一つの具体的な事件があったとする。この事件は刑事事件で重大な犯罪、例えば、殺人、強盗事件、強姦事件などに限られているらしいので、ここでは強姦事件だとしよう。
そうすると、まず裁判員候補者名簿の中から50人くらいの候補者がリストアップされるのだそうだ。その中で辞退理由がある人がまず除外されるが、更に残った人中でも裁判官が面談して、極端な考えを持っているなあと判断できる人は篩い落とされるというのである。このほかにも弁護人と検察官は、法律に定める数の範囲内で裁判員候補の中から特定の人を除外することができるというのである。
例えば、強姦事件の場合だと、弁護人が女性の裁判員候補について、「この人は若い女性だから、強姦事件に関しては当然有罪判断に傾きやすいだろう。」と考えて除外することがあるかもしれないというのである。
こうやって考えてみると、折角裁判員制度に協力しようと思っていても、裁判官、弁護士、検察官の主観によって排除されるということが十分にあるということである。
刑事事件の審理に国民の視点を入れるという発想は良いのかもしれないが、現実の裁判員の選任が、一般国民とは異なる法曹という人種、ある意味では一方の当事者であるものの主観によって行われるというのは如何なものかという気がする。それではパンフレットに書いていることと違うのではないだろうか?裁判員の選任は事件には関わらない委員会や機関の選考とすべきだったのではないかと思うが、如何であろうか?

なんにしても、翻って私が裁判員に選任されたどうなるかと思うと身震いする。それは別に、審理事件が刑事の重大事件だからというのではなく、これ以上、私から時間を奪わないで欲しいと思うからである。
そう考えると、新聞等で大きく報道された刑事事件はよく覚えていて、裁判員辞退の適当な理由がないときは、裁判官の面前で、その事件に関する極端な感想を強く言えば、そうすればもしかするとうまく除外されるのかなあと、、少しばかり良からぬ事も考えてしまう。
 

自分の健康

 投稿者:能彦  投稿日:2007年 9月26日(水)19時49分55秒
  政治家の健康のことを書いたが、では自分はどうかというと結構病気持ちであるから、あんまり他人や他の職業人のことをあれこれ言う資格はない。
しかし、医者通いしている病気は1種類で、しかも3ヶ月に一度の定期健診をすれば、その都度無罪放免を言い渡されているのだから、そんなに不健康ではない。いや、「無罪放免」と言っても次の検診日を指定されるのだからさしずめ「保護観察」か執行猶予であろうか?
ところが、最近横着になって、その3ヶ月検診もときには約束をすっぽかす。もともと3ヶ月ごとに検診を受けて、特に病状の進行がないから、それでもって前と同じ種類の薬を貰ってくるだけの病気である。だから、少し緊張感が欠けているのかもしれない。
そもそも緊張感が欠けているのは、病状の進行が止まっているからだ。この病気が発見されたのは今から15年前。そのときは現役の仕事もできなくなるのかと心配し、前途も悲観したが、医者によると、完治はしないが進行をとめれば生活には支障ないと言われ、ほっと一息をついた。
その後は1ヵ月毎の検診を繰り返し、今の病院に代わってからは3ヶ月検診になっているが、こうした通院の真面目さの賜物かどうかはわからないものの、病状が進行していないといわれて安心している。
とは言え、この3月に「次は6月」ということになっていたのをすっぽかし、途中で気がついて改めて8月に予約を入れたがこれもすっぽかしてしまった。これはかなり緊張感を欠いていると、誰でも思うのではないか。

どうしてこんなに緊張感を欠くようになったのか?どうやらその原因は、貰ってくる薬の相性の良さだ。

つい先日、こんなに予約の約束をすっぽかしてはいけないと思って、また予約を入れようとしたら、何しろ専門外来なので、10月の末しか空いていないという。それでも一応その予約はしてもらった。
ところが今度は、薬の方が無くなってきた。これは、実は、3月の検診のときに、あれこれ理由をつけて薬を多く貰っていた。そんなに多く貰っていても、結局は半年以上も病院に行かないのだから薬も少なくなってくる道理だ。そして、薬が少なくなって心細くなってくると、どうやら反省の気持ちが起こってきた。

振り返ってみると、現在の病院に代わってから、医師が良く診てくれて、病状の進行を止めるにはどの薬が良いかいろいろ試してくれた。その結果、現在の薬が適しているということになり、これを続けていた。そもそも私の病気は普段、何かしらの症状を自覚させるような病気ではない。だからこの薬が効いているとか、相性が良いとかは軽々にいえない。しかし、検診日ごとの検診数値は明らかに一定しているので、これはやはり相性がいいのだろうと思う。そしてそれがまたマンネリを生んだのであろう。
いつしか「病院に行っても、最近の症状を聞かれて、そしていつもの薬を貰って帰るだけ。私のように忙しい身にはこの時間さえ惜しい。」という気持ちになったようだ。

しかし、これは病気に対する私の考え違いだ。病気と闘っているのは自分だけではない。病気を完治させたり、私の病気のように完治させることのできない病気の場合は、完治させなくともその進行を止めるためには、医師と患者の共同作業が必要であるはずだ。そのために医師は一定期間ごとに患者を呼んでは問診をする。時には先進医療機器による精密検査も行っているのだ。ただ、医師の相手は極めて大多数なので、予約をすっぽかす患者に対応できないだけだ。これは患者としては大きな心得違いをしたものだと思う。

幸い、今朝病院に行って、「予約の検診日には間に合わないので、とりあえず薬だけでは欲しい。」と頼んだら、朝の、患者がごった返す大病院の忙しい中にあっても、看護師も(そして会えなかった医師も)快く処方箋を出してくれた。これをどう考えるかというと、「そんなことは病院なんだから当たり前だ。」と思うこともできるが、しかしそうではなく、やはり、病気に対する共同戦線を形作っている病院だからだと感謝すべきだろう。
反省の一日であった。
 

政治家の健康

 投稿者:能彦  投稿日:2007年 9月24日(月)22時43分17秒
  安倍晋三首相が入院中の病院で記者会見し、辞職の真の理由は身体条件の悪化にあった
ことを明らかにした。病名の公式な発表はあったのかなかったのか明らかではないが、
なんでも「機能性胃腸障害」という一種の近代病である。

辞職のニュースが最初に流されたときは、外出していてテレビを見る機会のない場合だ
ったから、その日の夜にこのニュースに接した時は、キツネにつままれた思いであった。
このため、深夜までテレビを見る羽目になった。そして首相の表情や解説の端々に触れ
られるコメントからは、高度な戦略の存在か、或いはまた自身の健康問題ではないかと
考えていたが、どうやらそのことが表面上は確認されたことになる。

首相は、その辞任のタイミングの悪さで、政権放棄した首相という汚名を被った。これ
は国の内外ばかりでなく、彼の後継を争った二人の候補者の口からも指摘されたことだ。
その汚名を免れるには、率直に身体条件を明らかにすればよかったのだが、彼はそれを
しなかった。
私はそのことは評価したい。為政者の健康状態は最高の国家機密であると思う。安倍首
相も「総理はそのようなことを口にすべきでないと考えたからだ。」と記者会見で述べ
ていたが、その見識は高く買いたい。

安倍首相は僅か1年で、従来の自民党首相が為し得なかった業績を幾つも挙げた。その
首相のこのような退陣は誠に残念だが、きちんと後継が生まれた後に、その真の理由を
告げて権力の座から去るというのであれば、やはり彼の業績に見合った清々しさがあっ
たと思いたい。

振り返ってみると、後継の福田総裁は70歳を越え、野党の党首である小沢氏は持病を抱
えている。少なくとも小沢氏の健康は首相の座にふさわしいとは思えない。幸いにも福
田氏はその名前の中に健康の要素を一つ持っている。年齢は多くともその健康に期待し
ようと思う。
 

ETC車載器搭載の記

 投稿者:能彦  投稿日:2006年 2月19日(日)22時38分30秒
  このところ高速道路のゲートではETC(通称「ノンストップ自動料金支払システム」)専用のものが目だって増えてきた。聞くところによるとこの3月までに利用率を50%にするのが目標とか。。。
 かくいう私は、前からETC機器を搭載するのが面倒だと思っていたので興味を示さないでいた。別にETCでなくとも立派に走行できるので要らないと思ったのだ。第一、私の経験した高速道路での混雑状況の半分は、ゲートの直前か直後で、ETC専用のゲートを抜けてきた車がこの混雑状況に巻き込まれているのを見たときはなんともいえない皮肉感を覚えた。
 一年ほど前になると、徐々にETC専用ゲートが増えてきたので、「それでは私も考えよう。」と思った。ところが、いつも立ち寄るサービスセンターで聞いてみると、車載器の取り付けは簡単で時間も掛からないが、取り付けの前にカード会社からETC専用カードを交付しておいて貰う必要があると言う。それを聞いたら、また面倒になってそのままにしておいた。

 しかし、年が明けてから、また何時ものように高速道路を中心に走り回っていると、どうもゲートの増え方が急である。特に、一つの車線の途中のインターチェンジから高速に入るときは、ゲートは精々二つしかないし、そのうちの一つは必ずETC車以外のクルマのために料金窓口があるから私のクルマにETC車載器を搭載していなくとも運転に支障ないのだが、主要車線の始点・終点のようにゲートが沢山あるところはそうもゆかなくなってきた。
 以前のようにETC車線が例外の時には、ゲートに向うときには高速道路を運転してきた道の道なりに進めばそれで目的のゲートに行き着いていた。ところが最近はこれが著しく趣が異なり、ETC車載器搭載の車のための専用レーンが多くなったので、私のように車載器の無いクルマは注意してどのゲートに狙いを付けるか早めに決めておかないとゲート付近の走行が危険になってきたのだ。つまり、普通は高速道路を走ってきてそのまま目標のゲートに向えばいいのだが、以前にはETC車用のレーンでなかったところが、いつの間にかETC専用レーンになっていると慌てて別のレーンを探さないとならないのである。「探す。」と言っても運転中だから瞬間の目の働きで済ませないといけない。こうしたときに後続車が少ないときは問題ないが、後続車が多いときはそれらの車も結構なスピードを出しているので、下手に進路を変更すると後続車にも自車にも危険が及ぶことになる。

 そこで、私も思い切ってETC車載器を載せることにし、手続きに歩いた。歩かなくともカード会社にインターネットで頼む方法があるようだが、カードを受け付けて発行するまで時間があるようだ。しかし、幸いにも私の持っているカードの会社の前を通りかかったので、そこでそのサービスセンターに寄って手続きしたのである。手続きは思った以上に簡単で、15分も立たないうちにETCカードを手にしていた。
 「これならば、、、」車載器の搭載も早いのではないかと思って、今度はクルマの方のサービスセンターに電話した。そうしたら、「メーカーにこだわらず、純正品にこだわらないと言うなら総額2万円で1時間以内に取り付けできます。という。それならば、、、と次の日に取り付けにゆくことにした。それが昨日の土曜日である。

 約束の時間に着き、取り付け場所の希望を聞かれたので適当に指示し、後はそこのフロアーで1時間待つことにした。1時間きっかりで工事は終わり、車も返されたが、支払いのときにびっくりした。事前の説明では、器具だけで2万円で、他には一切費用はかからないと言うことだった。ところが、更にサービスがあった。2月8日から28日まではETC車載器の搭載奨励期間で、この期間に車載器を取り付ければ5250円もキャッシュバックになるのだと言う。よく話を聞くと首都高速道路については「財団法人道路システム高度化推進機構」というところから助成金が出ているのだそうだ。
 こうして、2万円の出費のつもりが、結局は14000円弱の支払いで済んでしまった。今までジョセイキンなどというものは貰ったことが無かったせいか、なんだか得をしたような気分だ。
 もっとも、土曜日も今日も、まだ一度も高速道路は走っていない。
 

春は名のみの。。。。。

 投稿者:能彦  投稿日:2006年 2月 6日(月)00時54分19秒
  風の寒さや、、、と歌に言うが、このところの寒さは特別である。それが、我が家の場合は特に感じる。
 日本海側などの雪国ではまだご苦労な雪の季節だが、東京近辺ではいつもなら「立春」の声を聞けば温かな気配がするものである。そういう気配がないではない。室内にいて外を眺めていれば温かい光景が見えるし、日当たりの良いところに立てば矢張り春が近づいているかなと思えるからだ。
 ところが、少し日陰に入ると、まるで冷蔵庫の風を受けたように感じる。特に我がマンションの駐車場がそうだ。
 それというのも、駐車場前に、方向的には南側に面した場所に、富士山の眺望を遮り、陽光も遮る13階建てのマンションあるからだ。このマンションは、高さだけではなく敷地も長大で、ちょうど我々の駐車場を覆うように立っている。そして、南側からの太陽を我々から遮るだけでは足りず、あたかも冷たい北風を一度大きな躯体で受け留めて、それから受け留めた風を今度は颪(おろし)として下界に吹き付ける高い山のような役目を果たしている。だから、駐車場で機械式のクルマ収蔵ケースにクルマを出し入れするときは、冷気あふれる強い風がこの建物の方から、身にまとっているコートを素通りして体に流れ込んでくる。

 我がマンションの立春は、この忌々しい「13階颪」の季節を凌がなければ訪れない様だ。割と便利なところにあると考えて入居したマンションだが、こうした寒さくらいは我慢しなければならないのかもしれない。もっと、大変な目にあっている雪国の皆さんがいらっしゃるのだから。。。
 

理想を支えてくれる古い文章(1)

 投稿者:能彦  投稿日:2006年 1月29日(日)21時45分42秒
  (1)インターネットをネット主宰者の目で見るのは久しい。その「久しさ」はこの投稿の表示を見れば一目瞭然であり、直前の投稿は実に1年と1ヶ月も前になる。
 昨日幸齢ネットの更新をしたというものの、その中身は僅かな手直しであり、しかも昨年の5月5日以来の事であった。

 どうしてそうなったのかといえば、一言ではいえないネットに時間を割くことのできない環境の変化があったからだ。
 事業環境の変化、生活環境の変化、物事への対応環境の変化等、誰の目にも触れることのない「自分史」にしか書き込めない様な他には言うに言えないこともあれば、思いがけずに公職に就いたり、はたまた周囲から薦められて同業者団体の主要な役員を引き受ける羽目になったりと、いずれにしても6年前の公務員引退の当初には思いもしなかった環境の変化ばかりである。

(2)しかし、そういう中でもシニア世代の多くの方々に、ネットを通じた社会参加の道をお勧めしたいという思いは消えたことが無い。
 ただ、果たしてそうした思いを尽くせるかと、現在の環境を別にしたところの自分の能力なり、今のネットの力量なりに思いを馳せてみると、必ずしも強い自信を持つには至らない自分がある。

 そう考えて、今日、かなり以前に袂を別った筈のメロウの仲間達のネットの公開部分を覗き見た。同様にそのほかのシニアネットの公開部分を概観したが、残念ながら私が主宰者としてあらんという願いを断ち切ってくれるほどの盛況あるシニアネットは垣間見ることができなかった。
 無論それぞれのネットはそれぞれの理想・趣旨・目的を掲げて存在し、活躍しているし、何よりも私のように座してネットを放置しているということは無いのだから、私にはそれらのネットを批判することなどできないし、するつもりも無い。ただ、私の願いとするところとは違うということは消しようもない。
 

理想を支えてくれる古い文章(2)

 投稿者:能彦  投稿日:2006年 1月29日(日)21時44分2秒
  (3)そうした陰影のある気持ちを抱えて、そうしてなおも電脳空間を彷徨っていると、ふと私のネットを紹介する古い一文に出会った。

「(幸齢ホームページ)http://village.infoweb.ne.jp/~fwhp3597/index.htm  1942年生まれの小林さんが運営するホームページ。「高齢=幸齢」と読み替えていることからもわかるように、高齢化社会のついてのポジティブな自説や情報が、たくさん掲載されています。
 高齢社会における生き方等について話し合うための「幸齢交歓室」のほか、「電脳世代」に収録されている講演記録の「幸齢の楽しみ方」 などには、高齢者のデジタル通信を利用したコミュニケーションについて、時間をかけてとりくんできた見識があふれています。幸齢パソコン通信覚え書きも参照のこと。
 小林さんは、円熟世代が元気に社会参加できる社会を実現しようという メロウ・ソサエティ構想を、NIFTY-Serve のメロウ・フォーラム(FMELLOW)で展開したメンバーのひとり。数年後にリタイアを迎えるそうですが、今後のネットワークでの展開を注目したいと思います。」
(注)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/7866/link01.html

(4)この文中にあるように、これは私の公務員リタイアの前のことだし、今ではメロウ・フォーラム(FMELLOW)もニフテイのパソコン通信切捨ての結果なくなっている。
 それでも、こういう評判記?は、別に私が頼んで書いてもらったものでもないだけに、いつもネットの運営に関しては何ともならない私にさえ自信を与えてくれる。

 現状では、同業者団体のこと、公職のこと、事業のこと、そして果たさなければならない数々の私事のために本格的に取り組むことはできないが、しかし、勉学の時代に得たもので座右の銘にしている言葉、「汝なさんとて見出せしものは力を尽くしてこれを為せ!」を力強く思い出す。
 自らの時間管理を厳にして、是非また取り組んでみようと思う、、今年、無理かとも思うが、しかし、まだまだ青春であるのだから。
 

「選択的不注意」ということ

 投稿者:能彦  投稿日:2005年 1月 2日(日)03時15分41秒
 
 世の中に不注意ということはよくある。不注意で遅れたとか、不注意で忘れたとか、大体するべきであると認識していたのに、心的要因が欠落していたため認識していた通りの結果を出せなかったということであろう。ここには結果をだせなかったことについて不作為はあっても、不作為を導く主観的意図はなかったことが特徴である。

 ところが、こうした考えは普通の考えであって、実は世の中ではもっと特殊なことが行われているようだ。そのひとつが選択的不注意ということである。これは精神医学の用語であるようで、例としては、電車の中で人目も憚らず一心不乱に化粧する女性など、周囲の人間を完全に無視できる心理状態をいうのだそうだ。言葉の理解としては、意図的に不注意なことをするわけで、日常の感覚からすると誠に奇妙な用語である。

少し事情は違うのかもしれないが、以前に、我が生まれ故郷の秋田県能代市が、今年の「10月に近隣の7町村と合併して秋田県北随一の都市になるらしい。」と書いた。その新市名も「白神市」(しらかみし)となると書いた。ところが、昨年の秋にこのことは白紙に戻った。青森県側の反対や、「能代」と言う名称に愛着を感じる能代市民からの反発が強く、合併の中心であるはずの能代市が法定合併協議会から脱退したからである。
私は当時やや批判的な意見を書いて、こういう新市名の決定は 「手続きを定めて、これに従って手続きをふんだから、だから合法性を獲得しているというのでは、民主主義というより役人的形式主義ではなかろうか?」と述べた。だからこれが撤回されたことは歓迎する。しかし、こういうなりふり構わぬやり方と言うのも、選択的不注意ではないかと思う。なぜならば、自ら新市名には旧名称は使わないと言って参加しておきながら、今度はたの6町村のことなど考慮もせずに自らの都合だけで、粛々として続行してきた合併手続きを放り投げてしまったからである。

こう考えてきたところであったが、しかし考えてみるとそんなに他人を、、この場合は我が郷土であるが、簡単に批判できない自分を見出す。私自身もこの電脳空間にホームページをもっていながら、この4ヶ月、ほとんどこれを省みることなく過ごしてきてしまった。理由は色々あるが、その理由にかこつけて、このホームページに集まってくださる皆さんのことは無視してしまっていた。これも矢張り選択的不注意であろう。幸い、心の方の踏ん切りはつくようになったので前よりは注意してまいりたいと思う。

 

お湯割り焼酎

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 9月18日(土)20時41分38秒
   お酒を飲んで、少しばかり酔っ払ってしまい、店の経営者に説教してしまった。
 ことの次第はこうである。
 ある会議の後にちょっと乾杯程度の懇親会があり、その後流れ解散になったので事務所に帰ってきた。事務所では会議の資料の整理や、不在時の伝言などを整理して、今度は帰宅するつもりで電車の駅に向ったが、見かけない新しい看板のレストランがあったので、おやと思って営業品目を確かめると、洋風の店なのにおでんや和食が中心である。
 途端に、先ほどの懇親会ではあまりお酒を飲んでもいないし、食べ物もとっていなかったことに気づいた。
 そこで、ドアを開けて店に入り、カウンターに座った。
 出されたメニューをみると、お酒の部では大好き鹿児島県産の芋焼酎の銘柄ばかりが沢山並んでいる。つい嬉しくなって、焼酎のお湯割を頼んだ。
 
 ところが、その店のマスターらしき若い男性は焼酎は、ロックか水割りかストレートだけで、お湯割りはないという。
 「えっ!どうしてお湯割がないの?おでんがあるのにお湯を沸かさないの?」
 私はすっかりびっくりして、こんなとんちんかんな質問をした。
 すると、マスターは
 「いえ、当店で置いている芋焼酎の銘柄は、ロックか水割りでないと美味しくいただけないものですから。。。」
 このマスターは、タレントの木村拓哉に似た甘いマスクの青年で、おでんやには似合わないクリーム色のスーツに身を包んでいる。
 どうも私は、普通の趣向ではないおでん屋に入ったようである。
 これはちょっと勝手の違った店に入ったかな、、、と後悔したが、でもおでんだけでも食べられたら良いと思うことにした。
 「あ、そう。それじゃ、飲み物は水だけでいいよ。あとはおでんを下さい。」
と注文を訂正した。

 やがて、冷たい水とおでんがきたが、、、、しかし、どうもお湯割りを出さない、という店の方針には疑問が残った。
 そこで、食べながら、カウンターの奥にいるマスターに声を掛けた。
 「芋焼酎でお湯割を出さないというお店は初めてなんだけど、薩摩の芋焼酎なら普通はお湯割で飲んでも美味しいよ。このメニューの一番上の焼酎は何か変わっているの?」
 と改めて真面目な質問をした。
 すると、マスターよりも先に、彼の脇にいた店員がそのメニューの一番上にあった焼酎の瓶を取り上げて、、
 「この焼酎は鹿児島県のカワウチの産で、皆さん、ロックで飲む方が美味しいと言われるんですよ、、、、」と言いかけた。
 しかし、私は、彼が「カワウチの産で」と言いかけたところでカチンときた。
 そこで、皆まで言わせず、捲くし立てた。どうも、懇親会のときのお酒が今頃利いてきたらしい。

 「ちょっと待てよ!今、なんて言った?『カワウチ』だと!それは三本川に内側のウチという字だろう?それはカワウチなんかではないよ。センダイって読むんだ。察するところ、薩摩の芋焼酎の飲み方を講釈しているが、ほんとうは薩摩のことを何にも知らないんだろう?それなのに、当店ではお湯割りは出さない、なんてとんでもない話だ。ついでに聞くが、『出る』のシュツという字にお水の『スイ』という字を並べた所はなんて読むか分かるのか?」
 マスターはあっけに取られ、隣の店員は驚いて
 「お客さんは鹿児島県のご出身ですか?」
と聞いてきた。
 「鹿児島じゃないよ、秋田県だ。秋田県の人間だって鹿児島県の焼酎をお湯割で飲んだら美味しいってことは知ってるんだ。さ、いいから「出る」と「水」で何と読むんだ?」
 どうやら、少し離れたところのボックスにいた4人ばかりの客も、何事か始まったかとこちらを窺っているらしい。
 その店員は
 「デミズですか?」
 と、自信無い様子で口をもぐもぐさせた。
 「ほら、やっぱり分かってない。これは『イズミ』て読むんだ。ついでだから言うけど、これは鹿児島県じゃない、熊本県だが、最近新幹線駅のできた八に代替わりの「代」のつく市を地元じゃ何と読むか分かるか?」
「ヤツシロでしょ?」
即座にマスターが応じた。
 「違うよ。標準語ではヤツシロだが、地元じゃ誰もそう呼ばない、「ヤッチロ」が正解だぞ。そんな風に産地や地元のことも分からん癖に『芋焼酎のお湯割りは出さない!』って言うなんて可笑しいと思わないか?分かったら、焼酎とお湯を半々にしたお湯割を出せよ!」

 私は、別に凄んでいる訳ではない、笑顔でしゃべっているのだが、活字にすると凄んでいるかのようだ。しかし、実際は早口で捲くし立てているだけだから、遂にマスターも笑い出してしまったし、ボックスの4人のお客さんからは拍手が飛び出した。

 こうして、ようやく私はお湯割りの焼酎にありつけた。



 
 

数があれば良いというものではない。

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 9月 4日(土)12時25分4秒
   我が生まれ故郷は秋田県能代市であるが、来年10月に近隣の7町村と合併して秋田県北随一の都市になるらしい。
 県北随一といっても、面積はともかく、人口はようやく10万人程度だから全国規模からみたら大したことではない。
 しかし、8月30日に決定したという新市名は世界的な規模とでもいえるくらい立派な名前である。その名は「白神市」(しらかみし)である。あの世界遺産に登録されている白神山地から名前をいただいたものである。

 名前を決めたのは能代山本七市町村合併協議会であるが、同協議会のホームページによると選考理由はこうなっている。
 「太古からの息吹を脈々と受け継いでいる世界遺産「白神山地」は、日本はもとより世界的にも知名度が高く、この麓に位置する新市が「白神」の名称を冠することにより、国内外に広くアピールできるほか、地域ブランドとしての利活用等による経済波及効果は極めて大きいものがある。
 また、新市のほぼ全域から白神山地を仰ぎ見ることができるため、すべての住民が共有でき、日頃から慣れ親しんだ呼称であるとともに、響きが良く、書きやすいなど新市の名称としてふさわしい。」

 つまり、新市の名称を「白神」とすることによってブランドを利用できるということと、新市民みなに親しみやすいという理由である。
 全く結構な話であるが、郷土出身者としてはいささか首を傾げる。

 確かに、白神山地は現在の能代市と秋田県山本郡各町村から仰ぎ見ることができるが、残念ながら白神山地の4分の3は青森県内にあり、残りの4分の1は山本郡藤里町にある。そして、この藤里町は今回の市町村合併には参加しない。
観光地としての入り口も青森県の日本海側であり、僅かにJR五能線の利便からすると能代市側からの交通が条件がよいというに過ぎない。

 そこで、当然のように今回の決定について青森県議会や青森県で白神山地の保護に当たっているNPO法人などから苦情が出た。

 東京での感覚から言えば、東京や横浜の近郊にある都市が合併に当たって富士山が良く見えるから「富士市」(これは既にあるが)とか「富士見市」とか「北富士市」とか名付けるようなものである。
 選考経緯をみてみると、合併を強力に促進するために、最大の都市である能代市が「新市名の決定に当たっては、合併前の市町村の呼称を採用しない。」という条件を呑んだことにある。
 ここから「米代市」(米代(よねしろ)川という一級河川が能代平野を作っている。)とか「北都市」とか「秋田白神市」、「北羽市」とか「七里市」とかの候補が関係市町村の住民によって提案された。そうして、これに対する賛成票の多かった「白神市」など10の名前が候補となり、最終的に新市名選考委員会で3分の2の多数の投票を得て決定をみたというのである。
 
 しかし、選考委員会の人員は40名弱。住民から一番投票数が多かった「白神市」の獲得数にしても、全投票数が960程度の中のトップであって50に満たない数である。
 こうした数だけで、他からの投票がなかったからといって、それで決定して禍根を残さぬものか心配である。
 手続きを定めて、これに従って手続きをふんだから、だから合法性を獲得しているというのでは、民主主義というより役人的形式主義ではなかろうか?

 因みに、私のペンネーム「能彦」の「能」は能代市の「能」である。このままでは「白彦」とか「神彦」とか改名しなければならないかも、、、、いやいや、そんな改名は金輪際ごめんです。

 

H氏との突然の別れ

 投稿者:能彦  投稿日:2004年 8月11日(水)07時36分30秒
   一昨日、突然にご恩のある方の死に直面した。
 仕事の関係の団体に電話して、その団体の事務局長さんと話をしようとしていた。事務局長さんからは電車に乗っているときに仕事のことで電話を受けたので、「車中だから。。」と断ってそのまま電車を乗り継ぎ、事務所に帰ってから電話をかけ、いつも私は少し早口だからと思ってゆっくりとした口調で話し始めようとしたら、突然電話を遮られ、
「小林さん、今、ゆっくり話している時間はないのです。あなたもご存知のH先生がお亡くなりになったという連絡が入ったんです。」
と言われた。私は、その名前を聞いた瞬間に激しいショックを受けた。
 
 その方とは4年前に私が退職してこの業界に入ってから、団体の同じ支部だということでご薫陶を得るようになった。その後、いろいろなお付き合いやご指導をいただいて信頼を得、私も敬愛するようになっていた。年齢はといえば、私とは一回りも違うから程なく80歳になるはずだった。
 生前、私も勤めたこともある役所で、かなり重要な役職を務められた方だったが、同業団体に属されてからは随分と気さくに皆さんと交わっておられたようで、若輩の私もその余慶を受けたといえるかもしれない。
 その方が、どうしたわけか私を見込んでくださり、仕事の上でも貴重なアドバイスをいただいたり、私の事務所の今後のことについてもご懇篤な指針をいただいたりした。

 この方と同じような方が前にもお一人おられた。その方は、なぜか十数年前から音信普通となり、いくつかのルートを辿ってご連絡しようとしたが果たせなかった。どうも世捨て人になられたのではないかという話さえあった。
 しかし、それはともかく、その方とH氏とは、私にしてみれば妙に似たところがあり、どういう理由によるかは分からないが、初対面にも近いような私に眼を掛けてくださった。前の方を仮にK氏とすれば、K氏は私が社会人として巣立った20代の時の出会いであり、H氏は、私が役所を辞めて巷間いわれる第二の人生に旅立ったときである。
考えてみれば私はK氏のお陰で今日があるようなものだ。そしてまた、H氏のお陰で新しい出発ができるようなところがある。

 今こうしてH氏との別離の時に至って考えてみると、お二人とも私との出会いの最初に瞬時に、私は知らない私の何かを見つけてくれたのだと思う。そうでもなければ、それまで存在も知らず、また才知も財産もない私がお二人に目を掛けられることはなかった筈だ。
 その、私の知らない私の中の良さを探すために、私はまた今までのように懸命に生きて生きたいと思う。おそらくそれが私のH氏に対する最大の恩返しではないかと思う。

  H氏には先々週の金曜日の団体の会合でお会いし、その後、タクシーで自宅までお送りいただいて、自宅前で「奥さんによろしく。」とお話になられたのが最後となった。しかも今日の正午からの告別式が永遠の別れとなる。ご冥福を祈りたい。
                                     合掌
 

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