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『星を追う子ども』

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月15日(水)23時32分43秒
  新海誠『星を追う子ども』を観てきました。新海の第四作目となりますが、これまでの
三つの作品とはおおいに趣を異にします。新海自身がそう語っていますが、日本アニメ
の王道(たとえばジブリ)を意識したつくりになっていて、絵からしてそんな感じです。
それ自体はいいのです。いわば『秒速5センチメートル』における私小説からロマーン
(長編小説)=ロマンス(伝奇)に転換したといえるかもしれません。しかし、さまざ
まな要素が盛り込まれすぎて、またその位置づけが混乱してしまって(たとえばヒロイ
ン明日菜と森崎が旅する世界は、冥界であり、かつこの世界と交渉がある異世界という
ことで訳がわからなくなる)、一点に収斂していかないのです。なんか散漫でごちゃご
ちゃした感じ。「普遍性を目指した」というかれの意図が裏切られた結果になったと思
う。

森崎の異世界行きの動機は、亡き妻を生き返らせるというもので、最近鑑賞したグルッ
ク『オルフェオとエウリディーチェ』と同様にオルペウス神話に想をえたもので、新海
の作品に出てきて「ブルータス、お前もか!」という感じです。それも無理はないわけ
で、というのも新海のここでのテーマは「喪失」だからです。これは処女作から一貫し
てもいるのですが、「喪失」は、いいかえれば「死んだものは帰ってこない」ことを認
めることです。喪失を噛みしめること、これがフロイトがいうTrauerarbeit(喪の作業)
であって、これを経ることではじめて遺されたものは自分の人生を再建していくことが
できるのです。

ヒロイン明日菜は、この森崎の冥界行きにつきあわされてしまっているような感じなの
で、これが散漫さのもっとも大きな原因になっていると思われる。たしかに異世界から
来た少年シンの俤を追って、というプロットにはなっているのだが、説得力に欠ける。
 
 

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月 8日(水)23時14分2秒
  オッフェンバックの『オルフェ』は、この話を徹底的にパロディ化しているから
その最後の姿かもしれません。といっても、その後映画になりますが『黒いオル
フェ』(1959)といった名作がつくられているから、最後とも言えないでしょうか。

高くんが挙げた「カン、カン」は超有名。それは日本で民放テレビが放送を始め
たころのコマーシャル、カステラの文明堂のCMが、この曲にあわせて操り人形
たちが「カステラ一番、電話は二番」と踊り歌うものだったからです。これは生
命力が超長いCMでもあります。今でも?となるとこの素朴なCMは半世紀以上
生き延びていることになる。もちろん様々な映画でカンカン踊りが出てくるとま
ず必ずこの曲ですしね。画家ロートレックの生涯を描いた映画『赤い風車(ムー
ラン・ルージュ)』(1952)にもカンカン踊りが出てきますが、ロートレックが描
いたそのポスターは印象的。

たまたま同じ年1952年にオッフェンバックの『ホフマン物語』も映画化されてい
ます。今観るとそれほどとは思えないのだけれど、高校生くらいの時にテレビで
観てちょっと惹かれましたね。
 

Orfeo ed Euridice ≠ Orpheé aux Enfers

 投稿者:高ーJohn  投稿日:2011年 6月 8日(水)00時51分30秒
  印象に残っているOrfeo ed Euridiceの序曲はとても軽やかなメロディーでしたが、今日耳に入ったのは全く別のもの……検索してみて、やっぱり全く別のもの(汗)、以前聞いたのはOrpheé aux Enfersだ。庶民のカーニバルかな……喜劇のOrpheé aux Enfersの誕生のストーリも面白いです。

Orfeo ed Euridice By Christoph Willibald Gluck(1714.7.2--1787.11.15)
Orpheé aux Enfers  By  Jacques Offenbach (1819.6.2--1880.10.5)

Orphee aux Enfers(地獄のオルフェ) の誕生
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7)
劇場規則から自由になったオッフェンバックだったが、劇場の赤字が解消されることはなかった。赤字解消にはヒット作がますます必要となっていった。そこで彼は、当時リヴァイヴァル・ブームが起きていたグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』(ギリシア神話のオルペウスの悲劇)のパロディをテーマに、初めての長編作品を作曲することにした。エクトル・クレミューとリュドヴィック・アレヴィの台本は、グルックの作品に第二帝政期のフランス社会が抱えていた偽善性や矛盾の風刺をすることで当時の世相を取り入れ、本来は死んだ妻を愛するあまり地獄に赴くという感動的な夫婦の物語を、互いに愛人を作り、決して愛し合っているわけでは ないのに体面だけを気にして仕方がなく妻を取り戻しにいく、という偽善に満ちた夫婦の滑稽さを風刺した作品を生み出した。
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序曲
オッフェンバックのオリジナル版には序曲はなかったが、1860年のウィーン初演(ドイツ語版)のために、カール・ビンダー Karl Binder が劇中曲を編曲して作成した。3部構成。特に第3部『カンカン(ギャロップ)』が有名である。
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Orphee aux Enfers の序曲のcan can
http://www.youtube.com/watch?v=PjuvjwUKLx8
 

ピナ・バウシュ振付によるダンス・オペラとしてのグルック『オルフェオとエウリディーチェ』

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月 8日(水)00時02分2秒
   古事記にも同型の話があるけれど、核心は夫婦愛なのかな。そして夫婦愛は現世
の愛ゆえに挫折を余儀なくされてしまう。オルフェオにとって「振り向いて妻を見
てはならない、事態を説明してもならない」という神々が与えた試練は、想像以上
に困難なものだったのだ。「なぜ私を見てくれないの、愛が冷めたの」と妻にせま
られ「現世にはもどらない、さようなら」と言われてしまったら、もう二重拘束で
どうにもならないもんね。二人とも死ぬしかなかった。

 ギリシャ神話の根本モチーフは、不死の神々と死すべきもの(人間)との厳しい
境界設定にあると思う。オルフェオは神々に許されて冥界に行くことができ、地獄
の番人や荒ぶる霊たちをその音楽の力によって慰撫することができ、天上にいるエ
ウリディーチェを迎えることがかなったものの、あの試練に打ち克つことはできな
かった。「死んだものは死んだもの」もう帰ってくることはないのだ、ここにはそ
ういう声が響いている。

 このギリシャ神話は、グルックの音楽によって啓蒙の世紀の人びとが受容するに
足る優美さをえたわけだが、このピナ・バウシュの振付によって現代人をも感動さ
せる力強さと抽象性をえたように思う。歌う人と踊る人が別々というのも違和感を
感じさせなかった。
 

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月 5日(日)22時32分20秒
  やはり出ませんね。そのままではハイパーリンクにもならないし。見たいひとは下記URL
を試してみてください。
 

ジャケット写真・画像表示を試してみました!

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月 5日(日)22時26分8秒
  <img alt="" height="1083" src="http://www.digitalvd.de/entertainment/wp-content/uploads/2009/11/orpheus.jpg" width="800" />  

 投稿者:N先生  投稿日:2011年 6月 5日(日)00時37分22秒
  説明がないとわからないところがありますね。ゼミでその時間をとりますか。  

(無題)

 投稿者:高ーJohn  投稿日:2011年 6月 4日(土)22時54分2秒
  <table style="width:auto;"><tr><td><img src="https://lh5.googleusercontent.com/-LIagwghnqbk/TenJU3r4p6I/AAAAAAAAA5E/8E9vfUoT99Y/s144/Screen-shot-0023-06-04-at-14.55.gif" height="90" width="144" /></td></tr><tr><td style="font-family:arial,sans-serif; font-size:11px; text-align:right">?件人 2011/06/04</td></tr></table>  

「翻墻」から「5月35日」へ

 投稿者:高ーJohn  投稿日:2011年 6月 4日(土)17時10分47秒
  5月35日、この日は土曜日。何が起きてもおかしくない日。無主題。
<img src="https://lh5.googleusercontent.com/-LIagwghnqbk/TenJU3r4p6I/AAAAAAAAA5E/8E9vfUoT99Y/s512/Screen-shot-0023-06-04-at-14.55.gif">

1、ミニブログであるtwitter:西側はネットユーザの日常生活を叙述することが多いが、中国のほうは時事問題に強烈な関心を示す。

2、中国におけるtwitterの特徴
 1)高度政治化(ネット規制が生み出したもの )
 2)オピニオンリーダーの組織化(反体制活動家、弱者の人権擁護など)
 3)社会的な運動への関与(馮正虎さんの成田空港内での居住事件、ジャスミン散歩)

3、「人肉捜索」から見たネット極端な意見の形成
 1)形成:
  a)低年齢 b)倫理(重視)社会 c)情報制限(非公開→噂)
 2)「人肉捜索」が生じた世論の二つのパタン
  a)多数ネチズン 対 個体
  b)多数ネチズン 対 権力側

4、結論
 1)中国国内では、政治に関する討議型ブログは少ない(攻撃型は多い)
 2)(ミニ)ブログは時事問題に関する情報を提供する重要な手段
 

サンスティーンのブログ論

 投稿者:abcメール  投稿日:2011年 6月 2日(木)13時02分41秒
   ブログは大体知人ブログと他人ブログの2種類に分けることができる。知人ブログは知人の近況を知るために読む。他人ブログは自分の趣味にあった情報を獲得するために読む。知人ブログを読むのは、ただその人の生活状態について知るためである。これによって、意見が極端になる可能性はごく低い。また、他人のブログを読むのは、他人の生活に好奇心がある、あるいは趣味などの情報収集を目的とする人が多い。この場合、まず興味があるテーマを検索して、あるブログを見つけ、読み始め、ブログの文章に分からないキーワード(または興味あるキーワード)があったら、普通は、リンクしたブログを参考にするではなく、そのキーワードを検索して、様々の面から情報を収集する人が多い。偏った考えばかりを獲得する可能性は低い。ブログは情報交換の場として、たくさんの情報や好みを提供している。提供された情報は真実もあり、嘘もある。最近はブログでディスカッションする人は少ないようである。ブログを読んでもコメントせず、情報はブログの書き手から読み手に一方的伝達するようになっている。
 

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