teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


Re: 宮城の銭湯(その4 若柳町 千代の湯)

 投稿者:ナカムラ  投稿日:2017年 8月13日(日)09時33分5秒
返信・引用
  > No.1173[元記事へ]

るびーさんへのお返事です。

いつも貴重な銭湯の写真を見せていただいて有り難うございます。

> 私が最も心配していることです。杞憂なら良いのですが。
ホームページビルダーも相変わらず供給されているようなので当面は改変も可能なので、今はそのようなことは考えておりません。今は地方の銭湯の情報すら美しい写真付でツイッターやインスタグラムに流れてきて、本当に時代は変ったなぁと思っていますが、細々と続けていこうと思っています。

>岩瀬省治さんのサイト
そういったサイトがあったんですか。知りませんでした。拙サイトの膨大な情報も本ではどうにもならない類ですね。まっちゃんは、銭湯以外も刊行準備中とのことで、小生も食堂シリーズ(?)を期待しています。もう手許にありませんが、昔、”駅前食堂”のムック本がありましたね。しかし、駅前食堂も急速に減っている印象ですね。

先週、上信電鉄の乗り鉄がてら、下仁田、上州富岡(大正湯)に行ったのですが、ともにいい駅前食堂が残っていました。富岡駅前の「川崎屋食堂」で卵とじでもソースでもないカツ丼を食べたのですが、建物も含め、味、大将、女将さん、建物(外観)とも素晴らしい駅前食堂でした。

その日は、下仁田の赤線跡、富岡製糸場を駆け足で見て、富岡の大正湯に入って、川崎屋食堂で一杯というコースでした。

上信電鉄は初めてだったのですが、信州に抜けられなかった歴史、木造駅舎の数々、千平下仁田間の渓谷美など、なかなか楽しいローカル線でした。朝、10:00少し前に高崎駅に着いたのですが、丁度みなかみ号の運行日で、発車時の長い汽笛が聞こえてきました。SLには関わりのない世代ですが、いいものですね。郷愁を掻立てられます。

軽便鉄道も郷愁に満ちていていいですね。しかし、現役の軽便鉄道には西武のユネスコ村近くを走っていた線くらいでほとんど接したことがありません。写真集や廃線跡の本で見るくらいです。経済的に成り立たなくなると一気になくなります。その速度は銭湯以上ですね。
 
 

宮城の銭湯(その4 若柳町 千代の湯)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 8月 5日(土)09時03分54秒
返信・引用
   さて、千代の湯つながりでもう一つ。
 昭和50年代後半でしょうか、栗原電鉄(もちろん「くりはら田園鉄道」の前の時代ですね。気動車でなく電車が走っていた)を訪れた際に撮影しました。
てっきり、国鉄との乗りかえ駅の石越付近と思っていたのですが、銘鑑で調べてみますと車庫のあった若柳駅付近のようです。
 もちろん鉄道が目的でしたが、あまりの味のある様子に撮影したものと思います。特に建物に装飾らしきものはないのですが、なにかぐっとくるものがあったので撮ったのでしょう。昼の撮影ですので、現役かどうかわかりませんが、玄関の前の様子からは微妙な感じです。
 いまなら、わざわざ行っても入ってみたくなる風情です。
 

宮城の銭湯(その3 中新田町 千代の湯)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 8月 5日(土)08時14分44秒
返信・引用
  ナカムラさんへのお返事です。

すみません。また、間違ってエンターキー押してしまいました。
再送します

> 確かに“もっと早く初めていれば”と思ったことはありますが、住所以外の情報が全く無い時代に、地方都市ですら、さらにその外縁部まで訪れる気合い、時間、財力があったかと考えると、きっとそこまでの思いは無かっただろうと思っています。

 いやいや、日本全国の銭湯を巡られ、さらに詳細に記録を残されていることに敬服いたします。ナカムラさんの気が変わり、サイトを閉鎖してしまうということが、私が最も心配していることです。杞憂なら良いのですが。
 私の興味の及ぶところでは、温泉旅館に泊まり、食事も含めてレポートし続けていただいた岩瀬省治さんのサイトやかつての国鉄の列車編成を非常に詳細に網羅していた、資料的に価値のあるサイトも今ではみられなくなっていることがありますので。
 書籍化も希望するところですが、これだけの量の情報量は収められないでしょうね。やはり、サイトをずっと続けていただくことを希望したいですね。
 書籍化 「まっちゃん」さんの第三弾も期待するところです。激渋食堂シリーズも。

> 何回か電話帳だけで地方都市の銭湯を回ったことがありますが、苦労の割に“郷愁銭湯”にヒットする確率は低いものです。町田忍さんが凄いのは、ネットが無い時代に足で稼いでいる点です。町田さんと同時代に居たとしても自分は無理だったと思います。

 特に東北は、シンプルな銭湯が多いですからね。

> この掲示板を見て、銭湯ナイトを一緒にやっている方が、るびーさんに古い銭湯ライブラリーを銭湯ナイトで紹介してもらいましょうと打ち合わせの席で発言されていたことがあります。そんな、機会が訪れるといいですね。

 特に記録もとっていなく、対象の数も出尽くしている感もありますし、なにせ、大御所の方々の前でなんて、畏れ多く感じます。
 でも、ありがとうございます。

 さて、宮城の続きをば
 さきにご紹介した旧迫町佐沼の鶴乃湯のご主人から、中新田(なかにいだ)に千代の湯というすごく歴史の古い銭湯があると聞いていってみました。(どのくらいかは忘れました)
中新田は古川(現大崎市)に西方に位置します。かつては今の西古川駅から仙山線の北仙台付近まで仙台鉄道という長大軽便鉄道が通っていたので地名はピンときました。(仙台鉄道長大路線と言いましたが、末期は今の西古川と千代の湯のあった加美町3km程度の短小路線でした)
 意外と地味ですね。しかし、紺の暖簾に白抜き文字は老舗の風格とキリッとした印象を与えますね。銘鑑で住所を確認してグーグルアースで現地を見てみましたが、当然のことながら建物はないようです。まわりの風景もとっておけばよかった。
 

宮城の銭湯(その3 中新田町 千代の湯鶴乃湯)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 8月 5日(土)08時08分52秒
返信・引用
  > No.1170[元記事へ]

ナカムラさんへのお返事です。

> るびーさんへのお返事です。
>
> 登米の千鳥湯は10年ほど前に銭湯ML(銭湯仲間のメーリングリスト)で確かつかささんの探訪記が流れてきて“訪れたい!”と強く思ったものの、程なくして廃業してしまった記憶があります。
>
> 入口だけは何処かで写真を拝見しましたが、教えて頂いたリンクで、これまた惹かれるアプローチだったということを初めて知りました。さらに郡部の銭湯ですか。地方都市ですらなかなかなのに、その外縁部ともなれば本当に渋さの幅と深さは凄かったんでしょうね。
>
> 確かに“もっと早く初めていれば”と思ったことはありますが、住所以外の情報が全く無い時代に、地方都市ですら、さらにその外縁部まで訪れる気合い、時間、財力があったかと考えると、きっとそこまでの思いは無かっただろうと思っています。
>
> 何回か電話帳だけで地方都市の銭湯を回ったことがありますが、苦労の割に“郷愁銭湯”にヒットする確率は低いものです。町田忍さんが凄いのは、ネットが無い時代に足で稼いでいる点です。町田さんと同時代に居たとしても自分は無理だったと思います。
>
> るびーさんもネットが今のように発達していない時に、コツコツと訪れて写真を残されている。町田さんもカバー出来ていないうちに消えた銭湯の方が多いでしょうから、るびーさんの写真は極めて貴重です。
>
> この掲示板を見て、銭湯ナイトを一緒にやっている方が、るびーさんに古い銭湯ライブラリーを銭湯ナイトで紹介してもらいましょうと打ち合わせの席で発言されていたことがあります。そんな、機会が訪れるといいですね。
>
>
>
 

Re: 宮城の銭湯()

 投稿者:ナカムラ  投稿日:2017年 7月31日(月)22時16分0秒
返信・引用
  > No.1168[元記事へ]

るびーさんへのお返事です。

登米の千鳥湯は10年ほど前に銭湯ML(銭湯仲間のメーリングリスト)で確かつかささんの探訪記が流れてきて“訪れたい!”と強く思ったものの、程なくして廃業してしまった記憶があります。

入口だけは何処かで写真を拝見しましたが、教えて頂いたリンクで、これまた惹かれるアプローチだったということを初めて知りました。さらに郡部の銭湯ですか。地方都市ですらなかなかなのに、その外縁部ともなれば本当に渋さの幅と深さは凄かったんでしょうね。

確かに“もっと早く初めていれば”と思ったことはありますが、住所以外の情報が全く無い時代に、地方都市ですら、さらにその外縁部まで訪れる気合い、時間、財力があったかと考えると、きっとそこまでの思いは無かっただろうと思っています。

何回か電話帳だけで地方都市の銭湯を回ったことがありますが、苦労の割に“郷愁銭湯”にヒットする確率は低いものです。町田忍さんが凄いのは、ネットが無い時代に足で稼いでいる点です。町田さんと同時代に居たとしても自分は無理だったと思います。

るびーさんもネットが今のように発達していない時に、コツコツと訪れて写真を残されている。町田さんもカバー出来ていないうちに消えた銭湯の方が多いでしょうから、るびーさんの写真は極めて貴重です。

この掲示板を見て、銭湯ナイトを一緒にやっている方が、るびーさんに古い銭湯ライブラリーを銭湯ナイトで紹介してもらいましょうと打ち合わせの席で発言されていたことがあります。そんな、機会が訪れるといいですね。


 

宮城の銭湯(その2 迫町佐沼 鶴乃湯)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 7月29日(土)10時51分20秒
返信・引用
   間違えて写真添付し忘れました  

宮城の銭湯()

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 7月29日(土)10時47分22秒
返信・引用
   前掲の千鳥湯も当時の登米郡登米町にあった銭湯ですが、20年位まえの当時の登米郡迫町佐沼にも銭湯がありました。鶴の湯です。場所は記憶があいまいでおぼろ気ですが。
 玄関と反対側の妻部に鶴の湯と書いてありました。釜場は真裏じゃないみたいですね。シンプルな建物でしたが、玄関の男湯・女湯の表記なんかもいい感じ。
 銭湯の外観を撮影していると、ご主人が出てきて、「中も見てみる?」とおっしゃってくれましたので、お言葉に甘えました。
 その日、台風接近で北上川も堤防一杯まで水が来ていまして、雨も多く銭湯の玄関の前も水たまりだらけでした。
 郡部(市じゃなくて町村部)にある銭湯って、ナカムラさん的?に言うと、「郷愁銭湯」が多いような気がします。当時でも郡部の銭湯はかなり少数派でした。
 

宮城の銭湯(その1 登米 千鳥湯)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 7月27日(木)23時27分12秒
返信・引用
  ナカムラさんへのお返事です。

 銘鑑の旧住所の表記。確かに、現在と比較する際にだいぶ迷うことがありますね。
 モロキューさん。広田尚敬さんと並んで、鉄道写真の大御所です。
 私の若い時は、この方々もまだお若く (といっても私よりだいぶ先輩ですが)、当然、被写体も現役の車両が多く、きれいな写真だなとしか思わないときもありましたが、時代が下がって、その史料価値はもちろんこと、芸術的な素晴らしさも再認識しております。

趣味の時代性
 かつて鉄道の趣味の先輩に、もう少し早く生まれていれば○○鉄道をリアルに見られたのにと話したことがあります。その先輩が、まあそうだけど、究極は明治五年に物心がついていなければというところにさかのぼると言われました。

さて本題
 学生時代、私にとっての名著「時刻表地図から消えた町」(福田宏年 集英社)を読んで、所属していた鉄道研究会の仲間たちとで宮城県の登米に行ったことがあります。目的は、廃線跡と明治の面影を残す古い町で、期待通りの良い旅でした。
 登米で街並みを見て歩いているときに、奥まった場所にあった銭湯の千鳥湯にも気付いていました。といいながら、当時は旅先で銭湯建築は気にする程度であり、記憶の隅にとどめておいていただけでしたが。
その後、趣味的に銭湯の立ち位置も向上してきて、古い町の古い銭湯が気になり、是非ともこの銭湯に行ってみたくなりました。時を経ること10年以上たっていたでしょう。当然就職もしていたし結婚もしていたので、今回は配偶者とともにです。つき合わされる方は迷惑だったでしょうが。
 泊まったのは前回と同様、「時刻表地図から消えた町」の文中にあった海老紋旅館で、観光旅館ではなく普通の旅館でしたが、相変わらず、ご飯はさすがササニシキの本場で本当においしく、気もきくよい旅館でした。
 文中で女子大生風と言っていた若女将はそれなりのお歳になっていましたが。

 そこで、やっと千鳥湯です。かつて来た時の同じ雰囲気。看板建築風の建物に「千鳥湯?」と書かれた小さな行燈看板が唯一の目印となっている路地を覗いてみました。路地の突き当りには、クラシックな柱時計がなぜかかかっている建物が。路地に入っていくと、縁側からステテコ姿でテレビの野球を見ているおじさん。でも、こちらを気にしていないようでした。入り口のロケーションとしては、銭湯界(?)一、二を争う雰囲気の良さでしょう。(もちろん野町湯はトップクラスですね。)
さらに、柱時計の前まで行ってみると、「千鳥湯」と書いた額を掲げた味のある建物が。
 下手な写真は数葉アップしますが、「千鳥湯」についてレポートしてあるサイトが出てきましたのでブックマークを示しておきます。
 カヌーで川くだりをしている方の紀行のようですね
http://mosp.run.buttobi.net/0609kitakami/kitakami_4/kitakami_4.html

 なお、旧登米高等尋常小学校の校舎の「教育資料館」に、戦時中の疎開の記録あり、子供たちが銭湯の浴槽につかっている写真もありましたが、きっとこれは千鳥湯でしょう。

この千鳥湯も過去のものとなってしましました。
 

Re: 遠野の銭湯(その2)

 投稿者:ナカムラ  投稿日:2017年 7月23日(日)11時06分22秒
返信・引用
  > No.1165[元記事へ]

るびーさんへのお返事です。


遠野の貴重な写真有り難うございます。遠野の市街地は結構歩いて、喜久の湯の前は恐らく通っていますが、普通に歩いていたら分りませんね。ましてや長寿湯の方は写真を見てもあまり銭湯の建物的ではなく、まず分らないなと思いました。

銭湯を巡り始めた頃、まだ「全国駅前銭情報」は書店に並んでいたと思います。まだ地方銭湯に足をのばすなど思いもよらない頃で、購入には至りませんでしたが、そのうち無くなってしまいました。今は昭和43年の「全国浴場銘鑑(昭和43年)」をスキャニングしてiPhoneに取り込んでいるので、出先周辺の昔の銭湯情報は検索をかけておおよそ把握出来るようになっていますが、数が多過ぎるのと、それよりは実際の風景を見ることに重点を置いて、廃業銭湯巡りまでは手が回っていません。それと、半世紀も経過すると地名って大きく変っているものなんですね。旧町名番地と新しいそれとの対比がにわかには分らなかったりします。

金曜日に鉄道写真家の諸河久氏の写真展に行ったのですが、引き続いてネガのデジタル変換の講座がありましたので、聞いてきました。本当の初歩的な話しでしたが、非常に奥が深いもので驚きました。また、その画像の精緻さに驚かされました。

先週、今週と1軒ずつ銭湯レポートをアップしました。文章を書いて未だアップしていないのが35軒ほどあります。週に1軒弱かなと思いますが、細々とアップしていこうかなと思っております。
 

遠野の銭湯(その2)

 投稿者:るびー  投稿日:2017年 7月17日(月)22時54分3秒
返信・引用
   そして、もう一軒建物が残るのがかつての長寿湯。萬福寺なるお寺の参道の入り口の角にあります。ちょっと銭湯とは思えない、まわりの景観に配慮した黄土色の色合いの洒落た建物。確かここに銭湯があったはずと思って探してみたのですが、よく見てみないと気が付きません。駅前銭湯情報にはノレンのかかった写真が掲載されています。玄関はちょっと変わったタイプです。男湯と女湯の入り口は左右に別れていくタイプでしょうか。縦型の行灯も玄関の左右にあり、また、よく見ると暖簾かけが確認できます。
 お寺の参道から建物の側面を見ることができますが、浴室らしき場所には、目立たないながら湯抜きが確認できました。煙突は確認できていません。
 さて、さらに写真を整理していますと、この長寿湯の前の建物が出てきました。学生の時、所属していた鉄道研究会の仲間たちと、陸前高田から国鉄バスで遠野に行ったときのものと思われます。遠野では、今と同じ立派な遠野の駅舎とこの銭湯の写真しか撮っていません。当時は特に銭湯ファンというわけではありませんでしたが、古い長寿湯の建物に何か感じるものがあったのでしょう。
 

レンタル掲示板
/52